日本の「放任主義」教育、留学生にプレッシャー

日本の「放任主義」教育、留学生にプレッシャー。 日本の大学の勉強は自主性を養うことに重きを置いている為、学部生と院生までは勉強は楽だけれど、博士号を取るとなると、そのプレッシャーは相当大きいものになる…

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発信時間: 2010-10-13 15:33:00 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

日本の大学の勉強は自主性を養うことに重きを置いている為、学部生と院生までは勉強は楽だけれど、博士号を取るとなると、そのプレッシャーは相当大きいものになる。中国の留学生はもっと辛い。勉強もさることながら、物価の高い日本で生活していく為にはアルバイトも頑張らなければならない。

カリキュラムは簡単

記者は取材をしていく中で、日本の授業内容とカリキュラムは比較的簡単だと感じている中国留学生が多く居ることに気付いた。東京のデジタルハリウッド大学はデジタルコンテンツに精通した専門家を育てる為の私立大学である。ここでアニメ製作を勉強している金城さんは、「言葉の壁がなければ、大部分の日本のカリキュラムは留学生にとっては簡単すぎる」と言っていた。

彼は自主性を重んじる大学の授業を紹介してくれた。学校の前期授業が始まって間もない頃、5日間に渡ってオリエンテーションが開かれるそうだ。目的としては、生徒同士の交流や大学生活4年間の目標を立てることにある。大学2年生になると、「自主学習」の必修科目が設けられている。そこでは、1年生の頃の自分の目標を見つめ直し、その目標にしっかり近づいているかを確かめる。そして、教師への自己推薦という形で5,6人からなるグループに入り、模擬企業として、5日間かけて、ひとつの企画を出すのである。

「放任主義」の教育

日本大学理工学部建築学科の博士課程で勉強中の王軍さんはこのように話している。「日本の博士課程の教育は、学生の自主的な研究を重視している。」始めは戸惑っていた王さんも自分の研究や日本の学生との交流を通して徐々に、そのような教育方法に慣れてきたと言う。

また、東京大学の環境学科で修士の勉強をしている肖亜娜さんの場合、毎日、資料を集めたり、専門分野の論文を読んだり、同じゼミの生徒たちとの交流をしたり、ゼミの先生は完全に生徒の自主的な行動に任せていると言う。

このような「放任主義」の教育は、文系の学生の中にも広まっている。広島大学日本語学科で博士号の取得を目指している学生はこのように話していた。「単位は博士課程の1年目にはだいたい取り終わる。2年目からは先生と週に2回、マンツーマンの授業をする。授業は、先生が研究と関連した論文を読んで、それについて意見を交換するというものだ。そして、他の時間は全て自分でひたすら勉強をしなくてはいけない。」

放任主義は一見、学生に多くの暇な時間を与えているように思えるが、当の学生はそのようには思っていない。学部から博士課程の学生に至るまで皆、異口同音に「プレッシャー」を感じると語っている。生活だけでなく、学習面でも大きなストレスが圧し掛かる。

北京大学の本科を卒業している肖亜娜さんはすぐに、「放任主義」に慣れたという。それでも彼女は、少なからずプレッシャーを抱えていた。彼女の所属していたゼミでは、生徒が3週間に1度「発表」をしなくてはいけない。先生や他の生徒の前で、自分の研究の進み具合を報告するのだ。誰もが、毎回の発表に悲鳴を上げている。発表の前には、膨大な量の資料を集め、調べ物をしなくてはいけないからだ。

また、ほとんどの理工学部の生徒も、「発表」のプレッシャーに立ち向かっている。「発表」と言う言葉を中国の留学生の口から聞かない日はないほどだ。発表が1週間後に迫ると、一切の娯楽を絶つ学生さえ居る。このように、博士課程のプレッシャーはより浮き彫りになる。日ごろの「発表」のプレッシャーだけでなく、博士論文という試練は長くて辛いものだ。博士の学位を得るのに、自分の書いた論文を出版することを第一条件にしている大学もある。(王小鵬)

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2010年10月13日

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