佐藤町長は、現段階では、もとの土地で復興するつもりだと話す。だが、取材した町民にはむしろいろいろな考えがあった。南三陸町で魚屋を営んでいた62歳の山内正文さん。「家があんな風に壊され、廃墟に建て直したいと思っても、少なくとも1年半はかかる。再建後は、多くの人が生活の仕方を変えるだろう」
宮城県気仙沼市。漁民の吉田さんも被害を受けた。漁民にとっては海が家であり、漁港は財産だったが、もう「港」も「人」もなくなった。残った漁民は生活に便利なところへと移るだろう。ここの町や村を再建するのはおそらく非常に難しい。
多くの被災者が将来に茫然とし、多くの問題を抱えていた。「将来どうなるなんて、言えない。政府は行方不明者の捜索や犠牲者の身元確認、救援物資の調達で疲れきっている。まだ、私たちと再建について話し合う時ではない」。体育館に避難している小野寺幸江さん。「いまは食べものや飲み物は心配ないが、結局、こうした生活はいつまでもできないが、お金も石油もないから、ここで待つしかない。今後、仕事はどうなるのか。できることなら、すぐにここを離れて、別の場所に落ち着きたいと本当に思う」
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年3月28日