電力修理作業員田村さん 「怖くてしょうがなかった」
原子炉を冷却した後、原発をコントロールするために、電力供給システムを回復することは必要不可欠だった。電子機器の修理を行った田村さんは、作業の時、同僚と原発の床で仮眠を取っていたという。
休憩所にいた田村さんは「あの時、交代制などなく、24時間の作業を強いられていた。シャワーを浴びるときだけがここに来る。しかも2日に1度しか来れなかった。今は、放射性物質の汚染を最小限に食い止めるために、1時間作業して、2時間休憩するという体制でやっている。最初は10人で交代していたが、今は30人いる。それでやっと、ここに戻ってご飯を食べる時間が取れるようになった」と話す。
電力修理チームのリーダーである鈴木信秀さんは「皆、大きなプレッシャーの中で作業をしている。この難関をなんとか乗り越えなければ、世界中が注目している…支えてくれる全ての人が、私たちのパワーになり、自分のことは後回しにしても、みんなのためにやらなければと思った」と言う。
福島原発の放射能レベルは依然として高いままで、長く留まって作業することが難しい状況だ。作業員たちは「安全地帯」と言われる場所で2時間の休憩時間を過ごした。そこは、昨年7月に建設され、耐震機能を備えた建物で原発の中心にある。ここでは、防護マスクをはずすことができ、カップ面や飲料水などの食品も置いてある。
「怖かった。恐怖を拭い去ることはずっとできなかった」と32歳の作業員は言う。「でも、自分の任務がどれだけ重要かはわかっていた。絶対にやり遂げなければいけないと感じていた。その思いだけを支えに必死にやっている」。
「もし、今欲しいものはと聞かれたら、妻や子ども、両親に会いたい」と田村さんは話す。
「家族とは手紙でやり取りしている。みんなとても心配しているようだ。電話はこれまで、1回しかしていない。子どもは『がんばって』と言ってくれるが、妻は不安のあまり言葉も出ないようだ」と鈴木さんは語る。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年3月28日