日本沈没はあり得ない①優雅と恐慌

日本沈没はあり得ない①優雅と恐慌。 3月中旬の扶桑は、本来桜の芽がふくらみ始めてだんだん成長していく季節なのだが、この突然の大災害の襲来は、この美しい時期を全く葬り去ってしまった…

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発信時間: 2011-04-01 13:54:52 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

日本沈没はあり得ない②「肉弾勇士」が減ったが

日本沈没はあり得ない③凶事に逢って吉と変える

3月中旬の扶桑は、本来桜の芽がふくらみ始めてだんだん成長していく季節なのだが、この突然の大災害の襲来は、この美しい時期を全く葬り去ってしまった。

このような大規模災害に遭って、私は人の力の小さい事、頼りにならない存在である事、「人の知恵と力は大自然に打ち勝つ」「自然を征服する」などの類の妄言には苦笑をせざるを得ないと言う事を深く感じたのだった。周知の如く、日本は世界中でいちばん危機対応の意識が高く、転ばぬ先の杖という事をよく知り、震災時の対策能力の高い国だったのだが、今はなす術もない。日本で永年生活をして日本に対して多くの思い出を持ち日本と日本文化についての少なからぬ文書を書いてきた者として、今回私は筆の力の無力を感じて「日本沈没」の警告が必ずしも杞憂に終わらぬことを自らの身をもって経験した。一衣帯水の隣国であり、同じく天災の煩雑なる中国の人間として、ここからどのような経験と教訓を学ぶべきであろうか。

日本の落ちつきある態度と恐慌状態

まず、何といっても日本人の大災害に見舞われた際のあわて騒がず、整然とした落ちついた態度について話をしなければならない。このような落ちつきのある態度について西側のメディアは「災害の中の驚嘆すべき優雅さ」と形容しているが、これは人を感動させるものであった。実際のところこの「優雅さ」には悲しみの含みがあるのだが。

地震と津波の三日後、まさに内外のニュースの報道が湧き上がるようになっていた時に、私は長い付合いのある友人の久保田澄美子さんと電話で話をした。久保田さんは年齢が八十近くで東京の大森に住んでおり、二年前に緑内障の手術をしたがうまくいかず両目が失明状態に近い。彼女の朗らかな声からは、恐れやおののきによる不安な響きは少しも感じられず、私に対し何度も感謝の意を述べたのちに、その余すところですぐに私に電話をかけなかった事を詫びていた。ここからも日本人特有の他人に迷惑をかけたくないという性格を感じ取る事ができた。

公平に言えば、日本人の落ちつきある態度も相対的なもので、日本人も人であり人類の持つ全ての心の弱さをそなえている。多重の災難(とりわけ放射性物質漏れ)によって目の前で挟み撃ちにされた時、日本人はほとんど以前のあの優雅さを保つ事はできなかった。もし第一波で向きあった災害が地震や津波の如く、たとえ人を死地に追いやると言えども瞬間的に終わりとなる散る桜の花のように日本人の生と死の美学に合致するものならば、日本人にとっては心の準備と対応策の取れるものであった。ところが第二波の災難の放射性物質漏れ事故は、恐怖の思い出がある上に、それは目で見ることができず、触る事もできず、人の命を奪う事鈍器で肉を割くが如しで、その苦しみの過程はなかなか明けぬ長い夜のようであり、日本人も冷静な態度を保つ事はできなかった。

考えてみてほしい、もし同じような事が中国人の身の上に起こったら我々はどのような反応を示すだろうか。少し前のばかげたデマ、全国に及んだ食塩の買い付け騒ぎは、理性の欠乏、物事を落ちついて考えるという安定力の不足を印象付けた。現在災難のただ中にある日本と較べると大きな差がある、と言わざるを得ないではないか。(李兆忠)

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年4月1日

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