文=コラムニスト・陳言
(2)避難は「蜀道の難」
だが、相馬市のようなところを離れたいと思っても、それほど容易ではない。
先ず、放射能検査を受けなければならない。自宅が20キロ圏内にある27歳の主婦は妊娠7カ月、55歳の母親に2歳半の子どもを抱えてもらい、検査のため市の保健所に。検査は先に母親、子ども、最後に本人。全身を防護服でしっかり包んだ検査官が体の各部位に機器をあてて検査した。
「放射能は受けていません」と検査官。
「子どもは問題ありませんね」と主婦。
「ありません」。検査官は非常に礼儀正しいが、分厚いマスクのせいで、声はかなり変わっていた。
次に、出発だ。政府が20キロ圏内の住民に避難を勧告した後、道路は車で一杯になった。誰もが大きなマスクをかけ、高級車であれ、牛のようなスピードで進む。いら立ってクラクションを鳴らす人もいない、どんな音も聞こえない。まるで車の流れが止まったかのようだ。
出発するには、食料を用意しなければならない。営業している一部のスーパーは「購入制限」を実施。1人1回、水は2リットル、カップラーメン2個、カイロ1個――。1家が道路を数日走るのに、これで不十分でないのは明らかだ。
電車や飛行機も運行しているが、切符を買うには長蛇の列に並ばなければならない。千葉県在住の40歳の主婦は子どもがまだ10カ月なのを考え、富山の実家に戻ることを決めた。
千葉から富山に行くには飛行機に乗らなければならないが、空港とを結ぶモノレールは正常運転していないと考え、マイカーで行くことにした。ようやく羽田空港に着くと、節電のため不要不急のライトはすべて消えており、数十台ある自動券売機のうち作動しているのはわずか2台。1時間たってようやく券売機の前に。
「山口、大分、宮崎便はすでに満席となっております」。こんな空港アナウンスが続く。
まさにこのように、大きなマスクをし、ベビーカーを押す多くの母親たちは、空港と駅を行ったり来たり……。
地震と津波で家を失った人はおよそ30万人、原発事故では少なくとも20万人が避難を余儀なくされたが、事態が悪化すれば、さらに十数万人が避難することになる。首都圏にはおよそ2千万人がすでに生活しており、日本には難民を収容できる場所はほとんどないと言っていいだろう。
日本の政治家は依然、菅直人首相の発言問題を追究しており、その一方で、メディアは大量のデータを用いて非常に些細な技術的な問題を明らかにしようとしている。だが、「核難民」の彷徨と苦難に比べれば、これらはまったく取るに足りないことだ。後者、そこにこそ日本の最も深い傷がある。
「しょうがない」。この言葉、どれほど耳にしたことか。
※「蜀道の難は、青天(せいてん)に上るよりも難しい=唐代の詩人李白」
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年4月8日