まもなく東日本大震災から一カ月が経過しようとしています。行方不明の方の捜索も難航し、また福島第一原発も予断を許さない状況であります。こちらのブログをご覧になっているみなさんは、いまどちらで生活をされていますでしょうか、ネット環境がある中でこのブログをご覧になられている方については、ひとまず落ち着いた生活をされているのだろうと、僕もほっと安心をいたします。
とは言いましても、まだまだ実際の被害のさなかにおられる方も多いと思います。震災の復興を改めて祈念する次第です。僕も何人かの友人が被害に会ったこともあり、とても気持ちが盛り上がるようなところではありませんが、いつもと同じように情報発信することが重要と思い、こちらのブログを誠心誠意、書かせていただきます。
さて、ここ最近、日本では「自粛ムード」と「通常生活」ということが対照的な立場として語られています。とくに「自粛ムード」について、心理的な観点、経済的な観点と様々に語られているようですね。中国のミニブログで僕が自粛ムードについて言及したのですが、あまりピンときている方はいらっしゃらないようでした。たしかに、これはなんとも心理的なものでありまして、日本国内で醸成された雰囲気的な「自粛」については、中国のみなさんにわかりにくいものなのだろうと思います。僕も、311前に、今の日本に広がる「自粛ムード」の気分がわかるかといわれたら、難しいような気がします。ちょうど、感動的な映画を見た後に、見てない友人にその感動を言語でどんなに説明してもわからないようなものかなぁと思います。
「自粛ムード」という言葉は、株式市場で言えば、「弱含み」というようなイメージに近く、悪いイメージが悪いイメージをさらによびこむようなスパイラルの概念も含んでいます。どんどんマイナスに落ち込んでいきます。日本全体がこれから産業停滞するのだ、日本人はより質素にしなければならないのだ、節約は美徳、いや美徳というよりも日本人ならば当然だ、多くの犠牲者の方がいるそばではしゃいでいられない、といったようなものであります。これは、ネガティブ(または、下降気味な)イメージというよりも、そうですね、言葉を選びますが、「抑えこむ」というようなイメージに近いかなと思います。何か気分が下がっていくというよりも、上にも下にも動かない、というような状況と思います。声をあげて何か意見を主張しないというような状況でもあります。「抑えこみ」がさらなる「抑えこみ」の状況を連帯意識的に産み出していきます。