一方で、「通常生活」というのは、前回の僕のこちらのチャイナネットさんのブログでも書きましたが、これまで通りの通常の生活です。通常の中には、日常的に居酒屋に行ったり、カラオケにいったり、または映画館に行ったり、テーマパークにいったりといったエンターテイメントも含まれますね。ある意味、これまで無駄遣いと思っていなかったようなことが「通常生活」でありまして、そこには、中庸な意味で先進国なりの無駄遣いはあったのだとおもいます。株式市場で言えば「ボラティリティ」が適正にあるような状況、上がり下がりが正常にあるような状況です。それぞれのみなさんが気分がよくなったり、時には反動で悪くなったりします。
ですから、「自粛ムード」と「通常ムード」というのは、プラスかマイナスかという対立概念ではなくて、人間が人間らしく都市生活を生きるそのままの自由を、心理的に規制されるか、または心理的に規制されないかという概念なのだと思います。完全な対立用語としては成立していません。心理上では、明らかに「通常ムード」のほうが「健康的」でありますね(健康が傲慢になってしまうことが、バブル経済を産んでしまうわけですが・・・)。
それでは、経済の観点からみたらどうでしょうか。ファーストリテイリングの柳井氏が語ったり、文筆家の乙武洋氏が語ったりしたことで話題になりましたが、たしかに「自粛ムード」は経済を停滞させるということはあると思います。「自粛」はいわば、お金を使わない、経済循環が悪くなる、ということを直接意味しますので、度を越すと悪くなります。ここで難しいのは、節約からの効率性と経済循環悪化とのバランスなんですね。「自粛ムード」肯定派の論拠の中心は、このある程度のところまでの節約による資源効率性の増加なわけです。つまるところ、ともに論拠は間違っていなそうですから、「自粛」の経済に対する影響はカマボコ型のカーブを描くとおもいます。多少の「自粛」は節約による効率性の増加によって、良い方向に経済全体を向かせます、しかしある地点を越えると、経済循環の停滞を引き起こし、悪い方向に経済全体を向かせます。ですから「自粛」は適度なところまでは、良い作用でドを過ぎると悪い作用があると思っておいてよいでしょうね。この最適な線を僕は「ハッピーライン」とここでは名づけておきます。
「自粛」の度合いと経済への影響を、簡単に図にしてみました。
よって、最適な「自粛論争」の根拠は2つ考えられそうですね。
1、「自粛ムード」を一切選択せずに、心理的に健康的な「通常ムード」を選ぶ。
2、「自粛ムード」の最適なラインまで「自粛」を実施することで経済的に健康となることを選ぶ。