だがもし後者であるとすれば、今も偏狭なナショナリズムが日本に根強く残っており、「中国を怒らせる言動をすれば、政治上、有利になる」といった不健全な思考が存在することを意味している。名古屋市の河村たかし市長が先だって「南京事件はなかったのではないか」とコメントしたことは、同市長がその史実を把握していないのではなく、そういう態度をとることで政治上有利になるからだとされている。では、日本政界進出を目指す加藤氏が、歴史認識の問題にわざと「分からない」という態度をとったのだとすれば、それは日本国内の某勢力の目を気にした振る舞いだと言えよう。それとも彼の政治的テクニックを試したかっただけなのかも知れない。
中国の軍事力の台頭に対する警戒、中国の経済成長に対するコンプレックス、釣魚島(日本名・尖閣諸島)を巡る中日間の領有権の係争という背景の下、一部の政治家やマスコミの煽りもあってか、日本国民の中国に対する好感度は中日国交正常化以来、最低の水準にまで急落している。こうした状況は、人を正直にさせる。例えば、丹羽在中国日本大使が石原都知事による釣魚島買取りについて強く非難したことで国内から不快感を示す声が高まっている。ある地方議員は中国のあら探しに必死だ。中国脅威論を扇動しては、自身あるいは子孫の政界での地位を高めようとしている。これはまさしく、加藤氏が南京事件に対し「分からない」とコメントした歴史認識と同じなのかもしれない。
加藤氏は著書「従伊豆到北京有多遠(伊豆から北京はどのくらい遠いのか?)」が出版されてから、各地に講演に出向き、中日両国民の文化交流における象徴的な存在になっている。今では若者ファンも多い。だが、今回の「分からない」発言で、そうしたイメージにヒビを入れることになった。今後も中日友好の懸け橋として尽力したいと加藤氏が思っているならば、まずは「南京事件」を「分かる」ようにすることが肝心である。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年6月11日