引越しをして半年が過ぎ、会釈をする以外に私とお隣さんたちの関係になんら進展はなかった。ドアを閉めて自分の日々を過ごしたが、老子の言う「鶏犬の声相聞こゆるも、民は老死に至るまで、相い往来せざらん」といった生活を、東京という繁華で窒息しそうなコンクリートジャングルで暮らしたかった。息がつまりそうだったのである。俗に「遠くの親より近くの隣人」という。自分の家ははるか中国にあって、親族に会うのは難しい。私の身近な人と言えば、夫以外はお隣さんである。醤油や塩が足りないとき、気軽に隣人にもらいに行くのは気が引ける。しかし、何かが起こったときに頼りになるのは隣人だ。色々考えて、私は「餃子外交」という戦略を編み出した。
日本人は餃子好きといわれる。しかし彼らは本場の味を作れない。だから餃子を作り、お隣さんたちに配ることにしたのだ。ある日の午後、時間をかけて、熱々の餃子を作った。餃子外交の始まりである。ドアベルを鳴らして来意を告げた。訪れたのは今回が初めてではないから、あらかじめ何を語るかを考えておいた。頭一つ分のドアスペースが開けられたので、一椀の餃子を手渡すことができた。
202号の下田さんは大きな笑みを浮かべた。可愛いお椀とよだれの出そうな餃子に彼女は驚き、手を伸ばして受け取った後、半信半疑の表情で「ありがとう」と言った。東京では普通、隣人の家で水を飲むことさえしないのが大多数なのだ。餃子や麺ならなおさらあり得ない話なのだろう。次は201号室だ。黒ブチの大きなメガネをかけた森下さんは、用心深くドアを開けて餃子を受け取った。下の階に住む70歳過ぎの老夫婦は、嬉しそうにドアを半分開けながら餃子を受け取ったが、恐縮する姿にかえってこちらが恐縮した。
私の左隣に住む204号室の住人は若夫婦だ。夫人は躊躇しながらも餃子を受け取った。いずれにせよ餃子を全て送り届け、私は家に戻った。これでお隣さん対策は万全だと思った。ほどなく、ドアのベルが鳴った。隣の人がお椀を返しに来たのだ。リンゴ二つが付いてきた。しばらくすると、またノックの音がした。今回はお椀に大福が入っていた。その後1時間もたたないうちに、4つのお椀が全て戻ってきた。それにリンゴ二つと大福、味噌漬け野菜、梅干しだ。
日本人のリズムの速さは、日常の隣人関係でも同様である。餃子外交の後、お隣との関係はやはり道で会えばお辞儀をする程度に戻った。この時から私は、自分の生活を生きることにした。お隣の気を引くために餃子や中華まんじゅうを送ろうとはもう思わなくなった。私にとって日本は見知らぬ土地だ。隣人関係はなかなか奥深いものだと思う。(作者:郁乃)
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年7月8日