確かに、小学校高学年ぐらいのいじめ問題はどの国にでもある。しかし、たいていの国では「弱い者の味方」がいるものだ。また子供というのは友達関係の流動性が高いため、いじめられた人は他の友達のところに行けばよい。
しかし日本では、家庭と学校での教育の区別が比較的あいまいで、いつも平穏無事にすませたがる傾向がある。小グループに受け入れてくれない人は、人付き合いが下手で、「空気」が読めない人で、グループは彼らをまともに扱ってくれない。そのため、小グループ内の子供の多くはいじめを受け入れつつ、つかず離れずの状態を維持する。そこから離れるためには、転校しか方法が残されていない。
このような「空気」の中で日本社会は、小グループにせよ、社会全体にせよ、高度な調和と安定が求められる。日本の社会生活における公共の場では、腹を割った話や合理的な議論は滅多に見られない。筆者は日本で生活と仕事をして30年近いが、公共の場所での喧嘩を見たことがない。もちろん殴り合いなどもってのほかだ。だから「正義の味方」も現れない。
組織の中で、新しい策を導入したい時にはまず根回しが必要となる。大多数の支持が得られた後、正式に提案されるのだ。会議の席でたとえ異論があっても、率直な表現で語られることはない。適切なタイミングと雰囲気を探して、婉曲な言葉で表現する。なぜなら、空気を読める人はみな、この案がすでに水面下で根回しがあったことを知っているからである。
日本では、酒の席ならば自分の意見をはっきりと言うことができる。日本語には「酒による失態」や「酒による失言」という言葉がない。一般的に酒の席では、どんな行為や発言も大目に見られるし、男女関係を除けばいさかいになることもない。これこそ、日本のサラリーマンは仕事が終わると家に帰らず、居酒屋で酒を飲みたがる理由である。上司の中には、酒の席で部下とケンカをしたがる人がいる。居酒屋で率直な言葉を聞くことが、意見の吸い上げに有用だと考えているからである。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2012年10月5日