五輪の日本に対する抑止力に期待すべからず―中国人学者

五輪の日本に対する抑止力に期待すべからず―中国人学者。

タグ: 五輪開催,政治問題,オリンピックショー,核実験,無人機

発信時間: 2013-09-23 09:44:00 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

2020年夏季五輪の開催都市が東京に決定したことに落胆する中国人がいる一方で、一部ではほっとしている中国人もいる。五輪開催に向けて、国際的なイメージを重視することで、日本の強硬的な行動が抑制され、中国と日本の緊迫した関係は緩和されるとの見方をする人がいる。しかし、それは現実を正視しない幼稚な論調に過ぎない。

1936年、ナチス政権独裁下で開催されたベルリンオリンピックはプロパガンダ利用され、記録映画である『意志の勝利』は平和で寛容なドイツのイメージを外国に印象付けることに成功した。1946年の東京オリンピックは「非戦」こそが真の日本の姿であることを国際社会にアピールする目的があった。また、冷戦下に限らず、これまで幾度となく繰り返されてきた出場ボイコットなど、五輪は常に国際的な政治問題の矢面に立たされてきた。五輪の政治利用に反発する声はあるものの、大概が机上の空論に終わっている。

五輪の開催が国のイメージ向上に大きく貢献することは否定できない。積極なイメージアップ効果があり、国の様々な優位性を披露できる一方で、不都合な汚点を隠すこともでき、国家の威信を世界にアピールする一大ステージである。

口八丁手八丁で長年繰り返されてきたスポーツの政治利用は、掲げるプロパガンダと実際の行動が一致しないというのがこれまでの常だった。それが国際政治の舞台では常態化していたことでもあり、中でも日本はこの方面に長けていた。

1930年、東京で開催された「第9回極東選手権競技大会(極東オリンピック)」では、日本政府に後押しされ、インド選手団は独立運動の旗を掲げて入場した。1934年、日本は欧州諸国の植民地支配を受けていたアジア各国に対し、マニラで開催された第10回極東選手権競技大会に参加することを呼びかけた。スポーツの祭典は、日本が西側諸国の覇権を奪う戦場と化していた。東京で開催されることが予定されていた1940年の夏季五輪は、抗日戦争(日本名・日中戦争)の影響で中止されたが、これは決して日本に蹂躙(じゅうりん)されていた中国がオリンピック委員会に抗議したために実現したことではなく、日本軍がこのような「オリンピックショー」はもはや無意味であると考えたためである。当時の日本の外交当局は「汚点を隠す」五輪の役割を重視していたものの、日本軍はもはや恥も汚点も気にしておらず、五輪のベールなど余分なものだと考えていた。

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