テンポが速く、人との触れ合いが希薄な現代都市において、孤独のグルメたちはますます増大している。いつも変わらないメニューと常に入れ替わる深夜の様々な客を描いたドラマ「深夜食堂」や近隣同士のシングルたちが美味しい物を食べるために壁を越え、互いに親友になる様を描いた韓国ドラマ「ご飯行こうよ」、そして「孤独のグルメ」は、サービス精神旺盛な店主たちが常に1人分の量の料理を提供することで、一人で美食を楽しむという難題を実現させている。このおかげで、五郎は愛を語るという俗っぽいドラマから一線を引き、孤高に自由を追求することができている。この自由とは、現代文明の人間性に対する圧力に抵抗することだ。
西洋雑貨の取り次ぎ販売をしている五郎に、美容院のオーナーが店の玄関の室内装飾を依頼する。オーナーは、「お客様の髪のケアはできても、疲れている心のケアまではできないの」と語る。また、五郎は温泉のある山を歩き回り、幼稚園や小学校を訪れた際にブランコに乗る。長身で痩せた中年の男が小学生用の低いブランコに乗る姿は、想い出を懐かしむ中にも、どこか通常と異なるコミカルな笑いをもたらす。
グルメは、ちょうど美食家だったマルセル・プルーストの記憶の中の、あの一切れのマドレーヌの味のようなものだ。慌しい現代人がしばし目の前の悩みや煩わしいことを忘れ、記憶に戻って、疲れた心を癒すのにどこか似ている。飲食をテーマにしたドラマでは、愛を語らせるための売りだろうと、様々な人生を引き立たせるためであろうと、美食が主役で、人々を満足させるものであると同時に、最も重要で、最も人をひきつける力を持っている。(編集MZ)
「人民網日本語版」2014年8月30日