中日関係は二千年の友好と五十年の恨み まさかさらに百年対立するのか?

中日関係は二千年の友好と五十年の恨み まさかさらに百年対立するのか?。 二千年の友好は、かつて中日関係の独特の優勢を築いた。両国は一衣帯水で、相互交流、相互師事、相互敬慕の長い歴史を持っていた。両国の友好的交流の歴史の長さ、規模の大きさ、影響の深さは世界の文明発展の歴史においても異例だ…

タグ: 友好 対立 恨み

発信時間: 2014-12-03 15:50:18 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

中日両国関係は二千年の友好、五十年の対立と言える。(文:葉小文・本紙特約論説員、新中日友好21世紀委員会中国側委員。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)

二千年の友好は、かつて中日関係の独特の優勢を築いた。両国は一衣帯水で、相互交流、相互師事、相互敬慕の長い歴史を持っていた。両国の友好的交流の歴史の長さ、規模の大きさ、影響の深さは世界の文明発展の歴史においても異例だ。

五十年の対立は、1894年の甲午戦争(日清戦争)、日本軍国主義による中国侵略によって始まった。1937年から1945年にかけて、日本は再び中国の広大な領土を侵奪・占拠した。この五十年間にどれほど多くの人が家や家族を失い、深い恨みを抱いたことか!「五十年の対立」が「二千年の友好」に取って代わったのはなぜか?歴史をもてあそび、踏みにじったのは誰か?問題は近代日本が「脱亜入欧」路線に沿って台頭した際、軍国主義の道を歩んだことにある。福沢諭吉は『脱亜論』で「今日の謀を爲すに、我國は隣國の開明を待て共に亞細亞を興すの猶豫ある可らず、寧ろその伍を脱して西洋の文明國と進退を共にし(中略)我は心に於て亞細亞東方の惡友を謝絶するものなり」とした。

だが当時の「悪友」は今日、いずれも台頭しつつある。日本には「小人の心を以て君子の腹を推し量り」、「中国の脅威」を誇張し、中国とさらに百年対立する対決姿勢を示すことに慣れている者がいる。近年中日両国関係は揺れ動き、様々な摩擦が集中的に発生している。日本側は靖国神社に参拝し、領土紛争を挑発し、平和憲法を踏みにじり、自分の考えに固執し、横暴で道理をわきまえず、もめ事を引き起こし、誤解を大きくし、溝を深め、恨みを煽り、怒りの炎を燃え上がらせ、物事を台無しにしている。

二千年の友好と五十年の恨み。まさかさらに百年対立すると言うのか?今日の日本が、もしかつての「亜細亜東方の悪友」論を主張しているのなら、中国や他のアジア諸国の発展の勢いを余りにも見くびっており、現代世界の潮流が余りにも見えていない。すでに日本には「過去150年間続いた『脱亜入欧』路線からアジア重視の路線へと転換する必要がある」(松本健一・元内閣官房参与)として、「近隣国をパートナーとし、和を以て貴しと為す」心構えで、立て直しと振興、継続的発展の態勢でアジアに復帰することを呼びかけている人がいる。

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