安倍晋三首相は25日、戦後70周年に発表する「安倍談話」が村山談話の「植民地支配」、「侵略」、「謝罪」といったキーワードをそのまま継承せず、別の文言に変えることで、安倍政権の戦後の歴史と日本の未来の発展に対する考えを示すと述べた。
安倍首相は「全体的に」村山談話を継承すると重ねて強調してはいるが、実際には村山談話が示した反省の精神と謝罪の誠意を放棄しようとしている。
1995年8月15日に発表された村山談話は、時の村山富市首相の個人的な談話ではなく、村山内閣が戦後50周年を節目として、日本政府と国民を代表し侵略戦争の歴史を総括したものだ。談話が示した反省と懺悔の精神は、日本が侵略戦争の被害国と和解を実現するための礎でもある。
村山談話の中心的な文言は、「過去の植民地支配と侵略に対する痛切な反省と謝罪」だ。村山内閣は社会党、自民党、新党さきがけなど、政治理念が異なる連立政権だった。村山談話は閣僚の同意を経ており、ゆえに戦後日本社会の歴史問題に対する最大の共通認識と言える。靖国参拝問題で頑迷な態度を示した小泉元首相も、戦後60周年に発表した小泉談話で、村山談話のキーワードをそのまま継承した。
歴史の歯車が回り、戦後70周年となった今日、安倍首相は時代の流れに逆らい、方針を変更しようとしている。村山談話の中心的な文言が放棄されれば、安倍談話はいかに言葉を弄しようとも、日本が戦後形成した歴史の共通認識を覆すことになる。これは日本が戦後国際社会へ復帰し、被害国との和解を実現するための礎を揺るがし、国家と政府の信頼を損ねることになる。安倍政権が、歴代政権の正式な立場と約束を恣意的に覆し、歪曲し、否定したならば、国際社会は今後いかにして日本政府を信じればよいのだろうか?
安倍首相はさらに、戦後70周年の談話は日本の戦後の発展の成果を強調し、日本が今後いかに地域と世界に「積極的に貢献」していくかについて示すとした。周知の通り、村山談話が日本が無条件降伏した8月15日に発表されたのは、戦後の反省を着眼点としていたからだ。「成果」と「貢献」を強調するならば、安倍首相は8月15日以外の日に発表することが完全に可能だ。敗戦記念日に「貢献」を強調するのは、荒唐無稽ではなかろうか?