九一八事変(満州事変)の発生後に仕事をやめ兵士になり、日本の降伏をその目で見届けた。70数年が経過するが、110歳になる董済民さんは当時を振り返り、「元抗戦兵」だったことを誇りにしている。
「元抗戦兵相互扶助フォーラム」、「北京・天津・華北元兵士関心計画」は12月4日、誕生日を控えた最年長の元抗戦兵の董さんに対して、賞状と記念メダルを授与した。
董さんは1904年12月20日に、河北省楽亭に生まれる。董さんは幼いころ(清朝末期・中華民国初期)、吉林省吉林市に引っ越した。私塾に数年通うと、董さんは現地の有名百貨店「玉茗魁」で学徒になった。
1931年に九一八事変が勃発すると、董さんは百貨店の職を辞し、馮占海が率いる吉林682団(その後、東北義勇軍682団に改名)に加わった。文字を書き計算ができたため、董さんは後方の文書係になった。
董さんは10数年に渡り、有名な武漢会戦、長沙会戦、豫湘桂会戦(大陸打通作戦)、貴州省の独山会戦に参加し、九一八事変による東北地区の陥落から1945年の抗戦勝利の全過程をその目で見守った。
「元抗戦兵相互扶助フォーラム」の責任者の曹治邦氏は、賞状と記念メダルを董さんに授与した。曹氏によると、元抗日兵に授与する賞状にはナンバーと保管のための記録番号が振られている。
ボランティアに支えられ、董さんは手形を押し、氏名と年齢を書いた。手はやや震えていたが、大きな字は勢いがあり力強かった。自分の手形が、成都市の建川抗日博物館で多くの抗日英雄の手形と共に展示されると知ると、董さんは喜び笑みを漏らした。
曹氏は大きな声で、賞状を読み上げた。「董済民殿、貴殿は1931−1945年の反ファシズム戦争で国家と民族のため秀でた貢献を成し遂げ、心より感謝を申し上げる」董さんは興奮し立ち上がった。董さんは記念メダルを首から下げ、手で触りながら、「これは栄誉だ、私は光栄だ」と言った。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2014年12月12日