旧日本軍の手から3度も逃れて生存した孫富祥(99)さんは、侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館(南京大虐殺紀念館)に登録されている最年長の生存者だ。子供たちによると、孫さんは旧日本軍について「凶悪」としか口にしなかったという。
南京市瑞金路の川沿いの古い建物の一階で、孫さんは子供たちに支えられ椅子に座り、来訪者を迎えた。孫さんはもう、言葉を喋れなくなった。孫さんは今年に入りほぼ寝たきりになり、子供たちが代わる代わる介護をしている。健康・心理状態が悪化し続けているが、孫さんと子供たちは来訪を断らず、あの歴史のより多くの証拠を留めようとした。
旧日本軍は1937年、南京攻略後に中国の軍人を捜索し、若い男を捕まえ取り調べを行った。22歳の孫さんは当時、南京新街口の衣料品店の裁縫師で、毎日怯えていた。孫さんはある日の夜、仕事を終えて帰宅する途中、酒に酔い刀を振りかざした2人の日本兵に追いかけられた。孫さんは年初、記者にこの危険な場面について話してくれた。「私は必死に逃げ、彼らは後ろから追いかけてきた。幸いにして彼らは飲み過ぎで、なんとか逃げることができた」
城内は騒然とし、家の米がなくなった。孫さんは思い切って中華門の近くまで米を買いに行ったが、新街口洪武路に戻ったばかりで旧日本軍に行く手を遮られた。旧日本軍は孫さんが中国の軍人であることを疑い、警察局まで連行し、したたかに殴りつけた。旧日本軍は半日にも及ぶ取り調べで何も得られず、孫さんを解放した。しかい孫さんの右耳はこれで、音が聞こえなくなった。
3回目の危機は、揚州市の実家にいた時のことだ。近くの家屋から火が出て、孫さんは消火に向かったが、旧日本軍に捕まった。「消火に向かったのはみな若者で、日本人に包囲され、全員捕まった」孫さんは連行中、旧日本軍の隙を突き、縄をほどいて逃げ出した。孫さんが後に聞いた話によると、そのとき旧日本軍に捕まった若者は全員殺されたという。
孫さんは南京大虐殺紀念館に登録されている最年長の生存者だ。孫さんの長男の孫傑さんは、「九死に一生を得た3回の経歴で、孫さんは旧日本軍を心から憎むようになった」と語った。孫さんは今年に入るまで、まだテレビや新聞を見ることができた。孫さんは旧日本軍について、「凶悪」と最も多く口にした。南京大虐殺紀念館の建設後、孫さんは活動が催されるたびに一人で黙って行き、子供たちには余り話をしなかった。
南京大虐殺の生存者は100人余りに減少しており、平均年齢は80歳を超えている。孫さんのように100歳近い高齢者は少ない。多くの人は、これらの生存者が、数年後にはいなくなることを心配している。国際基準に基づき調査が進められている、南京大虐殺の生存者の口述記録は、現在も「復元中」だ。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2014年12月11日