宮城県では日中友好協会のアレンジで農村、漁港、工場も見学したが、こうした見学を通じて、中国のメディアの一部の人たちではあるが、実地に現実の日本の姿を自分の目で見た人たちが育ったと言えるのだ。私は第一線から退いてからもジャーナリズムの世界の一角で楽しんでいるが、こうした基盤は宮城県訪問、1カ月に及ぶ「中日友好の船」の旅による日本列島一周の訪問、見学、その後の長期滞在による蓄積のおかげだと見ている。
「津波」という言葉は知ってはいても、実際にテレビの映像で気仙沼などを襲ったものを見て愕然とした人たちが多くいたことも確かだ。こんな恐ろしい自然現象は初めて見たという人が多かった。中国でも地震は発生しているが、「津波」を見たことのある人はごく少数であろう。中国南部で津波対策の演習をしている映像も流されたが、なにかまだ実感が伴わないような気がした。本当の「津波」の怖さを知らないからだろうか。
日本も大地震の震災復興事業に取り組みつつあるが中国もできる限りの協力をしたいとの意思表示をしている。今年ももう師走の月に入った。宮城県など被災地の人々や、かつて私が取材で訪れた東北地方の人々がよいお正月を迎えられることを祈るとともに、「河北新報」が一日も早く往時の姿に立ち戻ることを願っている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年12月8日