林国本
さいきん、日本のメディアで、来年あたりに中国のGDPが世界2位となる、という記事をよく目にする。高く評価されて、悪い気はしないが、やはり冷静にそれを受け止めた方がいいような気がする。なにしろ、13億の人口を抱える発展途上の大国のこと、まだまだ改善すべきことが多々あり、未解決の課題もかなりある。「勝ってかぶとの緒を締めよ」という古い表現があるように、他国との比較においては、いろいろな側面を冷静にみるべきで、単に統計数字だけをみて、有頂天になることは厳に戒めなければならない。
とはいうものの、一庶民の実感として、とくに都市に住むわれわれにとっては、高度成長のすばらしさを肌で感じていることも確かだ。
20数年前に日本を訪問したとき、日本の一般家庭の家電製品を見て、中国はいつになれば、このようになるのだろうと考えたこともある。ところが、いまでは、冷蔵庫、電子レンジ、その他の家電製品はごく普通のものとなっている。特に、われわれの子供たちの世代は、一家庭にクルマ2台というケースも見られる。もちろん、いわゆる「先に豊かになった人たち」が主だが、とにかく、かつて日本の所得倍増時代に見られたようなことがもう現実となっている。
と同時に、生活のリズムがはやくなって、いまの若者たちのプレッシャーは、われわれの若い頃に比べてこちらの方も倍増しているように感じている。私たちは計画経済期と、市場原理導入期の両方を生きてきたわけだが、私は特異なケースで、週刊誌の仕事をしていたので、ずっと「テンション人間」として、仕事、仕事というスタイルを通してきた。今の若者たちは、もっとハングリー精神を発揮して頑張るべきではないか、と思うときもあるが、しかし相対的にみて、やはり私などは、外国語のできる人間が売り手市場の時代に生きてきたので、のびのびと、自由自在に仕事をしてきた。つまり、競争が今のように激しくなかったので、マラソンでいえばほとんど先頭集団の一人として走らせてもらってきた。ところが、今では、外国語が一つできるというくらいでは、ほとんど競争力はない。少なくとも2カ国語、バイリンガルならなおさら結構、そのうえに、編集力、企画力、構想力が求められ、なかなかたいへんである。
近代化はありがたいことだが、今の若者たちには、われわれ以上のストレス耐性が求められているのではないだろうか。
GDPで2位になれば、いろいろ国際的義務も増えるだろうし、「中国脅威論」の変化形みたいなものも現れてくるのではないだろうか。日本のメディアには、「いや違う。巨大な市場が日本のとなりに現れるのだ」と今からそろばんを弾いているような論評もある。こちらの方が現実味がある。ということで、来年以降の外国のメディアの論評をいまから、楽しみにしている。
しかし、どうみても、どんどん発展をとげ、豊かになることはいいことだと思う。さいきんはこういう気持ちで、外国のメディアに目を通している。日本の『選択』という雑誌には、中国の軍事力についての記事も出始めている。要するに、相撲でいうならば、大関から横綱に昇格すれば、いろいろな論評にさらされることもさけられないのは世の常である。しかし、有頂天になることだけは厳かに戒めるべきである。そして、着実に、一歩、一歩と前進していくことである。そのうえに、「横綱」としての風格を備えていくように努めなければならない。
「チャイナネット」 2009年9月9日