林国本
ここ十数年、「ヘタの横好き」か、時代の流れに遅れまいとする悲愴な努力なのか、デリバティブとか金融工学関係の本ばかり読んで過ごしてきた。そして、それなりにメリットもあった。ところが、さいきん、たまたま、かつての古巣のメディアに足を運んで、日本の新聞や雑誌をどっさり借りてきた際、日中友好協会が発行している「日本と中国」がそのなかに「まぎれ込んでいた」(失礼!)ので、ちょっと目を通してみて、その変容ぶりに驚いた。
私たちの世代は、「東京―北京」とかいう歌がはやっていた頃の人間で、物の考え方はかなり古くなっているが、第一線から引退しても、まだ、ジャーナリズムの世界で楽しんでいるので、うわべは時代についていっているように見え、親切で、エチケットをわきまえた後輩たちも、私のメンツを立ててくれるためか、「書いているものは非常に進んでいる」とほめてくれたりしているが、若者たちとカラオケなんかに行くと、正体が現れてしまうのだっだ。私がリクェストする曲はすべて30年前の曲で、さいきんはやっている曲は全然歌えない。はしゃいでいる若者たちの姿を見て、いつもアメリカ民謡「オールド・ブラック・ジョー」の「若き日、早や過ぎ去りぬ」を思い起こしている。もう、われわれは古い世代になってしまったのだ。
そこで、話をテーマの方に戻すが、今年の7月25日の「日本と中国」の8面に茨城県日中友好協会副理事長・同青年委員会委員長五十嵐さんのプロフィールを紹介するコラムがあったが、五十嵐さんは上海万博で開かれる「ティーンズロックin上海」を発案したことが書かれていた。そして4面には、その詳しい記事が掲載されていた。日中の高校生スタッフだけで運営、上海万博でロック!友好を発信という見出し入りの記事で、私は何回も読み返し、そのなかから日中友好という、先輩たちが身の危険すらある時代環境の中で、それこそ手弁当で拓いた事業をバトンタッチした現在の若者たちのはつらつとした姿を見て取ることができた。
中国でも、よく話題になっているが、80年代以後に生まれた若者たちがだんだんと主役となりつつあるのだ。
一時期、私は日中友好の将来はどうなるのだろう、と心配したこともあるが、今度のこの話題ばかりでなく、いろいろなところで、新たに発展をとげた日中友好を目にしているので、これは文字通り杞憂であると確信するようになっている。
われわれは、老日中、老中日クラブのメンバーになって頑張りつづけているが、これからの若い世代はさらにそれを発展させていくに違いない。これからは「日本と中国」紙も愛読していくつもりである。私は中日友好協会の理事でもあるので。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2010年8月23日