アカデミー賞初のドキュメンタリー賞受賞作品、抗戦期間中の中国人の「苦難における英雄の気魄」をありのまま記録した『Kukan』が、70数年ぶりに撮影地の中国に戻ってきた。
中国共産党重慶市委員会宣伝部常務副部長の周波氏は8日、フルカラードキュメンタリー『Kukan』の記者会見において、「重慶市に設置された中国抗戦大後方研究協同創新センターはこのほど、大陸部・台湾省および香港・マカオ地区での20年間の使用権を取得した。研究・宣伝・教育を目的として、メディア・一般人・研究者に開放する」と述べた。
本作のテーマは「苦難における英雄の気魄」。「国学大師」と呼ばれる林語堂が、序文のナレーションの一部を担当。本作は1941年に米国で初公開され、翌年の第14回アカデミー賞で初めて設置されたドキュメンタリー賞を受賞した。本作は米国籍華人芸術家の李霊愛氏(Lilin-Ai)が企画・出資し、米国人のレイ・スコット氏(Rey Scott)が撮影を担当した。
スコット氏は1937年より中国を駆け巡り、各地(上海、南京、杭州、香港、南寧、重慶、蘭州など)に足跡をとどめた。スコット氏は1937−1940年の日本軍の中国侵略、住所を失った数百万人の難民、未占領の都市の生活風景を客観的に記録し、中国の抗戦前期の社会を反映する歴史の絵巻物を描き出した。
重慶市人民代表大会常務委員、中国抗戦大後方研究協同創新センター主任の周勇氏は、「昨年初めて85分間の本作を観賞し、衝撃を受けた」と述べた。
周氏は、「これは今まで目にした西側諸国によって撮影されたもののうち、最も全面的かつ系統的に日本軍の中国侵略および重慶爆撃を暴露した貴重な映画資料だ。これには1940年8月19日と20日に、中国を侵略した日本軍の軍機が重慶の市街地を大爆撃した全過程が含まれる」と説明した。
日本軍の軍機は1940年8月19日と20日に、重慶を爆撃した。スコット氏は市街地の渝中半島と長江を隔てて向き合う南岸の、米国大使館の屋上に身を横たえ、命の危険を犯して爆撃の過程を撮影した。スコット氏は爆撃後に市街地に行き、廃墟、都市全体に回った火の手、それから重慶の人々が全力で消火作業を行う光景を撮影した。この部分は17分34秒におよぶ。
周氏は、「この作品は戦場の前線を表現しておらず、戦線を離れた地域に焦点を合わせた。社会生活、人の精神の角度から戦争を示し、戦時中の粘り強い不屈の中国を反映した」と指摘した。
遺憾なことに、この映画が抗戦中に中国で放映されることはなかった。本作は初公開時に、ニューヨーク・タイムズを含む100以上のメディアから好評を博したが、戦後は人々の視界から姿を消した。再放映されなかったばかりか、アカデミー賞の資料館でも見つからないほどだった。
米国籍の映画制作者の羅賓竜氏は21世紀初頭、アジア系住民の女性の歴史的貢献を研究した際に本作を発見した。羅氏はその後6年間の努力を経て、スコット氏の子孫から完全なコピー版を入手した。さらに映画芸術科学アカデミーは3年をかけ、損傷の深刻なフィルムを85分間のVHSに修復した。これは中国抗戦大後方研究協同創新センターがたゆまぬ努力により国内に取り戻したバージョンでもある。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2015年4月9日