「光と影――独日第二次大戦反省録」が公開②反省とは逆行する勢力との戦いである

「光と影――独日第二次大戦反省録」が公開②反省とは逆行する勢力との戦いである。

タグ: ドイツ 日本 侵略 反省 

発信時間: 2015-06-12 15:47:28 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

歩平氏によると、ドイツの戦後の反省は主に2つの点に集中している。一つはナチスの政権奪取、もう一つはユダヤ人の大虐殺である。戦後初期から60年代頃まではそうした問題についての声はドイツ社会では必ずしも主流ではなく、戦争で自らが被った苦しみの方が先立っていた。1960年代中頃に主に3つの方向から変化が起こった。第一に司法の世界からナチスの責任を追及する声が上がった。第二に知識人が戦争責任について深く考え始めた。第三に若い世代が独自の思考を展開し始めた。この3つの動きが社会の変化をもたらし、1970年にはブラント首相がワルシャワ・ゲットーの記念碑で跪くこととなった。歴史の反省はこうしてゆっくりと社会に受け入れられていった。

ドイツのベルリンなどの都市では2013年、戦争を回顧する活動が約500回にわたって開かれた。ドイツを訪問中だった歩平氏の友人の一人も、ナチスの政権奪取後にドイツの中国学者が受けた迫害についての展覧会を開いた。この友人によると、こうした展覧会を開催するのはドイツが目覚めているからでは決してないという。社会にまだ歴史に逆行する流れが根強いが故に、こうした流れとは断固として戦わなければならないのだという。

「日本社会にもそのような戦いはあるし、誰もが同じ意見になびいているわけではない」と歩平氏は指摘する。戦後の初期には、日本もドイツと似たような状況を経験した。1950年代半ばになると、日本の知識人が、なぜ当時戦争を支持してしまったかを真剣に考え始め、「悔恨共同体」というスローガンが生まれた。だがこれらは日本を被害者の立場に置くものであった。1960年代半ばからは、米国のベトナム戦争に対する世界的な反対運動が起こり、一部の日本人もこれに従って第二次大戦の加害者としての自身を反省し始めた。

「私は戦争が嫌いです。日本がこれほど長い間、この侵略の歴史を完全に反省できていないことを考えると、平和を愛する隣国の人々に申し訳ない思いになります」。日本の「村山談話を継承し発展させる会」のメンバーの川浪寿見子さんの心からの言葉である。この老人の言葉は、正しい認識を持つ数多くの日本人の声を表している。ドイツ人は戦争に負けてから国を挙げてナチスドイツの歴史を反省し、周辺の隣国とともに歴史教科書を作ったが、これこそ歴史に直面する模範だと考えている。

世界的に有名なドイツの経営学専門家、ヘルマン・サイモン氏(コンサルティング会社「サイモン・クチャー」会長)は、歴史に向き合うための唯一の可能で持続的な態度は心からの反省を示すことだけだと考えている。「私は戦後の1947年生まれだが、ドイツ人として負うべき責任と罪を否定したことはない。戦争の罪はごく少数の戦争犯罪者にあるのではなく、実際には多くの人がこれにかかわっていた。そのためドイツ民族全体がその責任を負うべきであり、実際にそうしている」

 

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2015年6月12日

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