世界遺産委員会が6月28日よりドイツで開催され、日本の産業革命遺産の登録の可否が正式に決定される。日本政府は昨年1月、ユネスコに「明治日本の産業革命遺産」の登録申請を行った。これには九州や山口県を中心とする8県の23の施設が含まれる。
韓国政府は日本の登録申請に明確に反対を表明しており、朴槿恵大統領自らユネスコの事務局長に懸念を表明した。韓国の反対の理由はこうだ。日本は明治の産業革命で、朝鮮半島から多くの労働者を強制連行した。関連施設が世界遺産に登録されれば、人類の普遍的な価値を持つ遺産を保護する『世界遺産条約』の精神にもとる。韓国側は、「歴史は抜粋できるものではない。自分が見たいものだけを見て、記憶したいものだけを記憶するわけにはいかない」と表明した。
日本が今回登録申請した多くの産業革命遺産は、中国とより広く深いつながりを持つ。第二次大戦中に中国人を労働者として強制連行したほか、中国の鉱物資源を略奪し尽くした。日本によって最大の「産業革命遺産」とされた八幡製鐵所(福岡県)が典型的な例だ。八幡製鐵所は明治政府が「殖産興業」を叫び建設した国営製鉄所で、第二次大戦前に日本の製鉄産業で中心的な地位を占めていた。日本側の資料によると、日本帝国議会は馬関条約(日本名・下関条約)を締結した翌年に、八幡製鐵所の建設を認めた。甲午戦争(日本名・日清戦争)で鉄の需要が増加したことがきっかけで、日本が得た戦争の賠償金の一部が建設費に充てられた。八幡製鐵所は1901年に稼働開始し、日本に支配されていた漢冶萍煤鉄公司から鉄鉱石が供給された。中国を侵略した日本軍が1938年に大冶を占領すると、現地の鉄鉱石を直接開発することで、この製鉄所の需要を満たした。
これらの産業遺産は、日本の短期間内に実現した産業発展を見守った。しかしその他のアジア諸国、特に中国には、日本による狂気じみた略奪という別の記憶がある。日本は120年前に中国と馬関条約を締結し、台湾および澎湖諸島など中国の領土を奪い、かつ中国に二億両(テール)の賠償を求めた。この賠償金は、日本の当時の国家予算の3倍弱だった。明治政府の「富国強兵」、「殖産興業」という政策にとって、この大金が何を意味していたかは想像に難くない。
日本はアジアで最も早く現代化を実現した国である。アジアを村に例えるならば、周辺の隣人が低いあばら屋に住んでいる時に、日本は現代的な高層マンションに入居した。この高層マンションは主に日本人の勤労と知恵によって作られたものだが、建造の初期とその過程において、多くの材料を隣人から奪い取ったことを認めなければならない。これは日本が豪邸を建てながら、常に隣国から十分な敬意を得られない理由の一つだ。日本は遺産の登録申請によって、かつての侵略や強奪の歴史を美化しようとしている。この手法は、日本の歴史の記憶に「隣人」という視点が欠けていることを再度証明した。この視点はアジアの和解、そして日本の進歩に対して、非常に重要な意義を持っている。(筆者:馬成三 日本在住の中国人学者)
「中国網日本語版(チャイナネット)」2015年6月19日