日本兵の今村守之はカメラを持ち、1937年11月に「中支派遣軍田中芳部隊水野隊」に従い、神戸港から上海に上陸した。今村は1938年12月までの1年間に渡り、上海や杭州などで300枚以上の写真を撮影・収集し、上海淞滬会戦の発生後の無残な光景をありのままに記録した。記者は松江区地方誌弁公室から、この写真を撮影した写真を入手した。これらの古い写真は、初めて完全に公開された。
松江区地方誌弁公室副主任の程志強氏によると、今村は甲府市出身で、1964年に死亡。今村の息子は父の遺産を整理した際に、300枚以上の写真を埼玉県の知人に預けた。東京都千代田区で2005年12月に催された「南京大虐殺68周年東京証言集会」で、今村が撮影・収集した一部の写真が「今村写真帳」として初公開された。
日本の民間団体「ノーモア南京の会」の責任者である木野村氏ら4人は、2006年11月に松江区地方誌弁公室主任の何恵明氏、副主任の張思維氏らを訪問した。彼らは今村が撮影・収集した写真、「今村写真帳」のコピーやディスクを松江区地方誌弁公室に寄贈した。「今村写真帳」の原本は、千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館に保管されているという。
これらの写真は中国を侵略した日本軍の暴行を再現した。今村が所属した部隊は長江デルタの各地に足跡を残し、上海、杭州、南京などへの道中で、中国人に対して非人道的な襲撃と殺戮を行った。写真を見ると、運河に浮かぶ中国の軍人の死体、日本軍によって斬殺された中国人、血だまりに横たわる中国の一般人の切り落とされた首が確認できる。かつて繁栄を極めた上海の街道は、日本軍の爆撃によって崩壊した。また理髪や相撲など日本軍の生活を反映した写真、朝鮮人・日本人・中国人慰安婦の写真がある。