大まかな統計では1941年12月から1945年8月までの間だけで、フライング・タイガーズは日本機2600機を撃墜・破壊し、敵艦船44隻を撃沈・破壊し、日本軍6万6700人を殺したうえ、東京の皇居を爆撃する長距離作戦も行った。雲南省とビルマを結ぶ道路が切断されるという緊迫した時には、フライング・タイガーズは危険を冒してヒマラヤ山脈を飛び越えて、中国の戦略物資の輸送を確保した。
■華僑・華人が在住国で参戦
李康希氏(92)は73年前のある数字を今も鮮明に覚えている。隊員52人、長銃7丁、短銃2丁、鎌10数丁。これはフィリピン華僑抗日遊撃支隊が1942年に結成された際の全装備だ。李氏は同遊撃支隊の一員だった。3年余りで同支隊は700人余りに増え、大小の戦闘を260回余り行い、敵2000人余りを殲滅または捕虜にし、華僑70人余りが戦闘で命を落とした。
フィリピンだけでなく、シンガポール華僑義勇軍、マレーシア神山遊撃隊、ベトナム西堤華僑抗日救国同盟会など華僑・華人武装組織は現地の人々と肩を並べて戦った。
「華僑・華人は様々な方法で在住国防衛に積極的に参加した。第2次大戦において軽視できない重要な勢力だ」。国務院華僑事務弁公室専門家諮問委員会委員、厦門大学南洋研究院院長の庄国土氏は指摘する。
欧州では英グリニッジ海軍大学の留学生21人が連合軍のノルマンディー反攻時に海軍実習将校として全て参戦し、最前線の艦船で血みどろで奮戦したうえ、チャーチル首相(当時)の接見を受けた。
ソ連では参戦した中国人留学生が多数いた。「後の中国空軍の劉亜楼上将、毛沢東の長男・毛岸英らは、ソ連の対独戦に参戦した」。庄氏によると、彼らの勇気ある参戦によって中華民族の反ファシズムの決意と勇気が示された。(編集NA)
「人民網日本語版」2015年7月20日