戦前に軍国主義を象徴していた文化的な符号はいまだに存続しており、そこに隠された意識は今も受け継がれている。A級戦犯を「忠魂」や「英霊」としてまつった靖国神社に日本の政治家は堂々と参拝している。多くの書籍または教科書には、日本が中国に対して行った侵略戦争や侵略行為が「事件」や「進入」などマイナスイメージのない言葉で表現されている。戦後、政治家が態度を変え続けてきたために、東アジアの被害国に対して日本政府が形式上は何度も繰り返してきた謝罪は、ますます軽薄で影の薄いものとなり、信頼を失っている。そのために日本と東アジアの国々とは「歴史的な和解」と「民族主義」との間で逡巡し、「歴史問題の現実化」と「現実問題の歴史化」という悪循環を形成している。
日本政府は最近、歴史的な和解の問題が外交上の重荷となっているとの意識を強め、これを一気に解決できるような言い方や形式を探し、歴史問題の行き詰まりから自らを「解放」しようとし始めている。日本の官僚は中国側の理解を得るための「最低ライン」なるものを探り、理解を得られる最低限の言い方を見つけようとしているとの話がよく聞かれる。だがこうしたやり方こそ、日本式の考え方を明らかにするものである。日本が戦後の和解問題の解決において期待しているのは、一種の外交上の最低コストの「限界効用」であり、一種の技術処理でしかなく、自身の精神レベルでの進化を追求するものではない。ドイツと日本との差はここにおいて明らかである。
不確定な日本
戦後日本は経済の急速成長を実現し、地域の経済発展にも積極的な貢献をしてきた。平和憲法第9条の原則の下、日本は平和発展の道を歩んできた。だが近年、日本国内では、歴史を顧みない右傾化した言動がますます旺盛となり、これと軌を一にする形で安全保障・防衛の戦略的な転換が進められようとしている。一部の政治家さらには首相までもが靖国神社を堂々と参拝するようになり、右派の政治家の言動に対して日本社会は寛容さを高めている。これと同時に、日本はここ数年、米国の「反テロ」や「アジア太平洋へのリバランス」といった戦略を「チャンス」ととらえ、「主要同盟国」の身分で安全保障・防衛政策の徹底的な転換をはかり、「専守防衛」「武器輸出三原則」を放棄し、「集団的自衛権の行使」への道を開き、日本の軍事力の世界進出へと法的な保障を提供している。