歴史問題は常に中日の間で最も注目される内容だ。私は個人的に、日本の1945年以前の行為には、弁解の余地がないと考えている。1931年の満州事変から1945年まで、日本は確かに中国を侵略していた。
日本は国際連盟から脱退してから23年間、孤立無援の状態だった。1956年に再び国連に加入した日本の喜びは、想像しがたいほどだ。そのため日本国憲法は国連憲章と一致し、国連憲章の精神を貫いている。戦後日本では確かに、武力を用いず、他国の領土を侵略しない平和主義が主流だった。戦後日本の平和主義は今日になって得られたのではなく、今日まで絶えることなく継承されてきたものであり、今日もそのことに変化はないことに注意が必要だ。
私は、現在の日本が軍国主義の道を再び歩むことはないと考えている。今年は戦後70周年だが、戦後の日本人の頭には、平和主義の考えが広く浸透している。日本は戦後、平和憲法第9条を守り、陸海空軍およびその他の戦闘力を保有しなかった。これは日本が「アジアのスイス」になろうとしたからだ。しかしこのような考えは、長くは続かなかった。アジアの発展の実情を見て、それまでの考えが非現実的であることが分かり、私たちは今や現実に回帰した。例えば朝鮮との関係、それから発展を続ける中国との関係において、日本には「保険」がある。日本国民が共通認識を形成すれば、これがアジア諸国の脅威となることはない。日本の政治家と自衛隊も、それを信じて疑わない。
現実主義に基づく平和は、安倍政権の中核となっている。安保関連法案の制定には、多くの一般人には理解し難い点があった。しかし日本はより積極的に国連平和維持活動に参与しようとしている。そこで安倍首相は、「積極的平和主義」を打ち出した。私はこれを、「平和の願い」が「自らの手で実現する平和主義」に変わったと理解している。
今の日本の若者は、アジアの近現代史において負うべき責任をほとんど知らない。これは非常に残念なことだ。先ほど陳健大使は発言の中で、日本が南京大虐殺の事実を認めようとしていないという事実について遺憾の意を表し、日本の世界的な評価を損ねていると判断したが、私はこの意見に同意する。
靖国参拝問題については慎重になるべきで、特に政治家は現段階で靖国神社を参拝すべきではないと考えている。しかし国会議員は、先祖のために参拝することもある。A級戦犯を分祀できれば、現在の問題を解決できるかもしれない。福田康夫元首相は専門委員会を設立し、千鳥ヶ淵戦没者墓苑のような別の場所に分祀することを提案している。しかし残念なことにこの構想は棚上げにされている。私はこれを推進し続けるべきだと考えている。(10月24−25日に開催された北京−東京フォーラムの、二国間政治・外交サブフォーラムの発言の要約)
「中国網日本語版(チャイナネット)」2015年10月26日