日本の華字紙「日本新華僑報」の19日の記事によると、日本では保育園不足が深刻化している。各地方は「待機児童」の問題解決に取り組んでいるが、住民の意外な反対に遭うケースもある。計画の頓挫は、子どもを育てる多くの親の心を傷つけただけでなく、日本の行政や政策決定に存在する大きな矛盾と障害を反映してもいる。
日本の各地では、「待機児童」問題の解決の取り組みが進められている。千葉県市川市は現在、入園先を見つけることのできない児童が全国9位の数百人にのぼり、大きな問題となっている。育児家庭の要望に応えるため、同市は数年前、住宅地の近くに大型の保育園を建設し、入園申請を公募するプロジェクトを始めた。だが周辺住民の予想外の強烈な反対と抗議を受け、断念を余儀なくされた。
これに対しては議論が沸き起こったが、周辺住民の反対の声は変わらなかった。反対の理由は主に2つある。第一に、児童はうるさく、周辺環境に迷惑を与える。第二に、付近の交通状況が良好でなく、児童の通園に適していない。一見、道理があるようにも思えるが、細かく考えるとなかなか深い問題である。
まず住民の反対は社会における人間関係の冷たさを示していると言わざるを得ない。日本メディアの調査によると、ある匿名の高齢者は、朝から晩まで子どものうるさい声を聞かされるのは環境汚染だと言い切ったという。またある女性も、自分には静かな環境で暮らす権利があり、これを邪魔することは絶対に許さないと語っている。市の職員はプロジェクトを進めるため、市民との疎通に何度も足を運んだが、まったく成果を挙げられず、断念することとなった。こうした容赦無い拒否の一方で、小さな子どもを持つ母たちは泣いている。社会に幸福をもたらすはずの育児プロジェクトが最低限の理解と寛容を得られないのは、日本社会特有の人間関係の冷たさを示す現象だと考える人は多い。日本の母たちからは、施設の不足より人々の無理解の方が越えがたい障害だという声も上がっている。
次に日本社会では何かというと「安全」が理由にされる。反対する住民の多くは、受け入れが嫌なのではなく、安全のリスクがあることが問題なのだと繰り返している。保育園の建設が計画されていた付近の車道の幅は3メートル余りしかなく、子どもと親に安全問題を投げかけているというのだ。だが市政部門はすでに解決策を提出しており、技術的に言えば、安全は、何が何でも反対しなければ理由とはならない。だが厳格さや規範、責任意識を特徴とする日本社会にとっては、「安全」は越えがたいレッドラインであり、何度説得しても成功しなかった市政部門は最終的になすすべもなく退却を余儀なくされた。
最後に「民意」と「政策決定」との間の均衡の難しさも示された。選挙での票取りに執政者が気を払う日本では、民意のフィードバックがこれまでも行政を左右する重要な要素となってきた。民意が体現され尊重される一方で、民意の対立という圧力はしばしば、行政効率の低下や資源の浪費を招く。保育園建設の問題はそのて典型的な例と言える。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2016年4月24日