「ハムレット」の舞台写真
劇団四季に加入し北京人民芸術劇院との架け橋に
劇団四季は80年代から、広く、深い友好交流を中国と展開し、芸術関連の大学に無償で演目や技術指導を提供してきたほか、複数のミュージカルやファミリーミュージカルの中国公演を行ってきた。また、育成にも務め、中国の役者が劇団内で学び、働けるようにしてきた。04年、仕事の関係で王さんは日本の著名な演劇家で、劇団四季の創始者の一人である浅利慶太さんを取材した。その際、浅利さんは、「1983年に、日本で北京人民芸術劇院の代表作である話劇『茶館』を見て、好感を持ったので北京人民芸術劇院と提携したい。また、中国の役者を起用して、劇団四季の中国語版ミュージカルを中国で上演したい」という願いを語った。
楽しい雰囲気の中で行われた取材の後、演劇を愛してやまない王さんは、正式に劇団四季に加入し、中国代表を務めるようになった。北京人民芸術劇院で働いたことがあった王さんは、自然と劇団四季と北京人民芸術劇院が意思の疎通を図るための架け橋となった。07年、北京人民芸術劇院は慎重に検討した結果、劇団四季と提携することに決め、「ハムレット」を脚本とし、浅利さんが監督を務め、北京人民芸術劇院の役者が上演することになった。「劇団四季のライト、服装、道具、舞台効果、化粧などのスタッフがほぼ全員駆け付けて協力してくれた。北京人民芸術劇院も、一番いい役者スタッフを起用し、最終的に、王斑が主人公のハムレットを演じることになった。しかし、劇団四季も北京人民芸術劇院も、長い歴史を誇る演劇団体で、アートコンセプトや業務上の習慣などが既に形成されている。舞台稽古の際に、双方の役者やスタッフが息を合わせるのはとてもたいへんなこと。私も、劇団四季側と北京人民芸術劇院の間に立って、通訳をしたり、調整を図ったりしていた。そして困難を乗り越えて『ハムレット』は大成功となった」と王さん。最終的に、「ハムレット」は北京人民芸術劇院でまず13回上演され、その後、招きに応じる形で中国国家大劇院でも上演された。
劇団四季が日本語版「ハムレット」を上演していた10年6月、浅利さんは北京人民芸術劇院を招き、「ハムレット」の上演を、東京の自由劇場で5回行った。同じ時に、同じ監督が、異なる言語の「ハムレット」を指揮し、日本では大きな話題となった。また、「中日競演」が日本で大きな話題となり、古くからの「ハムレット」ファンは日本語版と中国語版のチケットを買って、比較しながら鑑賞した。NHKも、北京人民芸術劇院版「ハムレット」を放送した。同作品は、北京人民芸術劇院の名作としてずっと残されている。