南京の真相を探るのは、真理と正義を守り、人類の尊厳を守るためだ。人類の文明において晒しの刑に処せられたこの歴史をどう見るかは、単純な学術問題では断じてない。生存者の口述、真実の映像、目撃者の記録は、いずれも反論の余地のない証拠だ。南京大虐殺の歴史の否定を愚かにももくろむのは、歴史の抹殺であり、それ以上に被害者の人格に対する侮辱だ。歴史が時代の変遷によって変わることはなく、事実が巧みな弁舌や言い逃れによって消失することもない。
「南京の記憶」を守るのは、平和の勢力を結集し、明るい未来を切り開くためだ。アウシュヴィッツ強制収容所から南京大虐殺まで、こうした歴史の痛ましい記憶は、ひとたび理性を喪失し、狂気に陥れば、文明が野蛮の前にひとたまりもないことを人々に警告している。1986年のノーベル平和賞受賞者、米国の作家エリ・ヴィーゼルは「大虐殺の忘却は、第2の虐殺だ」と語った。苦難を経て、復興へと向かい、世界的視野で「南京の記憶」を語る。中国は平和的発展の道を堅持して、世界と運命を共にし、手を携えて前進する足取りを一層力強くしている。
歴史は変えられないが、未来は形作ることができる。残虐行為の記憶、語り、記録の中に、忘却の暗闇から不義を取り出し、現実とのつながりを新たに築き、より多くの人々が教訓を汲み取り、自らを省みることができるようにする。これは生存者の責任であり、後の世代の責任でもある。今や北米の少なからぬ公立学校でアジアでの第2次大戦の歴史が教えられている。世界30余りの国が南京大虐殺を含む歴史選択科目教材を採用している。まさにある華人が述べたように、次世代が歴史から何を学ぶかが、教育の重要な課題なのだ。教育を通じて若者は世界の平和に対して自らが担う責任を認識できる。
歴史を省察して初めて、どこから来て、どこへ向かうのかを知ることができる。記憶を保って初めて、アイデンティティを築き、未来へ踏み出すことができる。「南京の記憶」が世界の記憶になって初めて、世界反ファシズム闘争の歴史はより完全なものになり、人類の平和的発展の道は手を携えて前進する勢力をより多く結集することができる。(編集NA)
「人民網日本語版」2017年12月13日