中国の李克強総理は8日、日本の安倍晋三首相の招待で同国を公式訪問し、第7回中日韓サミットに出席するため、特別機で東京に到着した。中国総理の公式訪日は8年ぶりだ。日本政府は中国の総理を「公賓」という最高待遇で迎えた。李総理は続いて明仁天皇との会見、安倍首相との会談、中日平和友好条約締結40周年記念行事への出席を行い、日本各界と幅広く接触するほか、北海道も訪問する。世界第2、第3の経済大国である中日両国関係の動向に世界が注目している。(文:阮宗沢・中国国際問題研究院常務副院長。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)
2018年は中国にとっても、中日関係にとっても歴史的意義を持つ年だ。中国の改革開放からも、中日平和友好条約の締結からも今年で40年になる。現在国際秩序は深い転換に向けた準備が進み、北東アジア情勢は刻々と変化し、一国主義と保守主義が多国間貿易体制と世界経済の成長を脅かしている。こうした中、李総理の今回の訪日が中日関係改善の勢いを一層揺るぎないものにし、両国関係を正常な発展の軌道へ押し戻し、両国関係の将来の発展のために戦略的計画を描くものになることは間違いない。
戦後の中日関係の歴史を振り返ると、曲折に満ちたものであり、相互隔絶、急速な発展、摩擦の多発といった各段階を経てきた。1972年の国交正常化以降の中日関係はおおむね2つの段階に分けられる。
(1)急速な発展期(1972~1992)。1972年に中日の指導者は大局的観点から、釣魚島(日本名・尖閣諸島)問題について係争棚上げという共通認識にいたり、国交正常化を実現した。続いて双方は中日平和友好条約を締結して、中日共同声明の各原則を法的形式で確認し、中日関係の全面的発展のために政治的基礎を固めた。中日国交正常化からちょうど20年となる1992年に明仁天皇が中国を公式友好訪問し、両国関係は一層盛り上がった。中日関係は発展の急行車線に入った。
(2)戦略のすり合わせ期(1992~現在まで)。中国が力強く台頭し、中日のパワーバランスは逆転し、2010年に中国は経済規模で日本を一挙に追い抜いた。中日間の構造的摩擦が際立ち、歴史認識問題、台湾問題、釣魚島領土紛争など、様々な摩擦が競うように勃発した。2012年に日本は中国の強い反対を顧みず、釣魚島「国有化」事件を引き起こして、中日関係に深刻な打撃を与えた。中国は権益維持を強化するため、釣魚島及びその附属島嶼海域で法執行巡航を常態化し、東中国海防空識別圏を設置した。日本は政局が混迷し、経済的に低迷し、米国追随の対中牽制戦略を強化し、「中国の脅威」を意図的に誇張し、中日関係は厳冬を迎え、距離が開いていった。
温故知新。現在の中日関係改善の勢いはようやく訪れたものであり、双方が共に努力し、同じ方向に向かった結果だ。少し前に李総理は日本の大手メディアへの寄稿で、現在中日関係は改善の勢いが生じ、正常な発展の軌道に戻る岐路に立っていると指摘。「中日が4つの基本文書の原則と精神を順守しさえすれば、中日関係は順調に発展し、さもなくば挫折することは事実が証明している」と強調した。
中日は互いに重要な隣国であり、協力すればウィンウィンとなり、対立すれば共に敗者となる。したがって、歴史を鑑として未来に向かうべきだ。未来を展望すると、中日が「一帯一路」イニシアティブの推進、人類運命共同体の構築という大事業において手を携えて協力し、平和・安寧・繁栄・開放の美しいアジアと世界を共に創造することを期待する。(編集NA)
「人民網日本語版」2018年5月10日