登山シーズンを迎えているヒマラヤ山脈のエベレストから21日、訃報が届いた。日本の登山家・栗城史多さん(35)が登頂を断念して下山途中、標高6400メートルにある第2キャンプ付近で低体温症で亡くなっているのが発見された。栗城さんはこれまでに、7度エベレスト登頂に失敗し、今回で8度目の挑戦だった。2012年には、深刻な凍傷が原因で指を9本失い、「指一本の登山家」と呼ばれていた。中国新聞網が海外メディアの報道を引用して報じた。
報道によると、栗城さんの所属事務所の小林幸子さんが21日、公式ブログで栗城さんの死亡を発表した。栗城さんは20日夜に標高7400メートルの第3キャンプに到達し、21日には標高8848メートルの頂上を目指す予定だったが、早朝になり体の不調を訴え、チームを離れて一人で下山したという。
小林さんは、「下山を始めた栗城が無線連絡に全く反応しなくなり、暗い中で下から見て栗城のヘッドランプも見当たらないことから 第2キャンプ近くの撮影隊が栗城のルートを登って捜索し、低体温で息絶えた栗城を発見した」と経緯を明かした。
SNSへの書き込みによると、栗城さんは4月17日に日本を出発してネパール入りし、同月27日にヒマラヤベースキャンプに到着。今月2日に第2キャンプに到達したものの高熱に見舞われ引き返し、10日に再出発。そして、18日に第2キャンプに戻ると、咳が出るものの、発熱はみられないため、登頂を目指すとしていた。
栗城さんは、前の数回と同じく、無酸素・単独登頂に挑戦したいとしていた。無酸素とは、酸素ボンベを使用しないで登ることで、単独登頂とはベースキャンプを出た後はサポートチームの支援を受けずに一人で登頂することを指す。ただ、ネパールメディアの報道によると、栗城さんが亡くなった時、4人のガイドが一緒だったという。
栗城さんは大学で山岳部に入部してから登山を始め、3年間で6大陸の最高峰を制覇し、2年間で8000メートル峰4座を無酸素・単独登頂した。
09年からは「冒険の共有」としてインターネット生中継登山を始めた。今回を含め、栗城さんは8度無酸素・単独でエベレスト登頂に挑戦したことになるが、いずれも失敗に終わった。なかでも4度目の挑戦となった12年には、第3キャンプでの滞在時間が長すぎたため、深刻な凍傷を負い、救出されて下山後、指9本を切断。右手の親指だけの状態になっていた。(編集KN)
「人民網日本語版」2018年5月23日