今週月曜日は南京大虐殺84周年だ。日本侵略軍は当時、南京で数十万の中国人を殺害した。中国の歴史について基本的な知識を持っている人ならば、南京大虐殺は中国の近代で最も敏感かつ最も痛ましい事件であることを知っているはずだ。ところがこの最も悲しい日に、日本は人権を理由に米英などの北京冬季五輪「外交的ボイコット」の仲間に入ることを検討中との情報が入った。「ロシア・トゥデイ」(電子版)が伝えた。
これは多くの面から中国を攻撃することに他ならない。特に中国は今年、(延期された)夏季五輪の開催期間中に日本側に極めて重要なサポートを提供した。南京で起きた恐ろしい暴行がまだありありと目に浮かぶなか、日本は人権問題を利用し道徳的な面をし中国を批判しようとしている。これは恥知らず、無神経、傲慢だ。
筆者がツイッターで日本の人権問題における偽りの立場を指摘すると、ある人から「あれは1937年のこと」とのコメントがあった。この「理由」の論理は、英語圏の国の頭にある例のテーマを反映している。つまり、過去に彼らの名の下で行われた不正行為はもはやまったく重要ではないということだ。
これについては次のように反論できる。仮に中国が昔、同じような罪を犯していたとするならば、現在も日本と同じような扱いを受けるだろうか。その間違った行為は忘れられるだろうか。それは絶対にない。ここには論理的な間違いがあるようだ。時の流れはある程度、正義を広めることと同じと言える。なぜならば一部の国は(現在)「正義」の側に立っているからだ、と。
仮に上述した論理をユダヤ人のホロコーストに当てはめるならば、当然ながら一斉に批判を浴びるだろう。時間は暴行の重大性をなくすだろうか。もちろんそれはない。それならばなぜ中国に南京を忘れさせようするのか。しかもドイツの戦後の状況とは正反対で、日本はその行為に関するいかなる形式の清算も受けたことがない。まさにそのため、日本がアジアにもたらした傷がずっと癒えていない。韓国にせよ中国にせよ、人々の感情は同じだ。この傷は非常に深く、南京大虐殺の生存者が1人亡くなるたびに中国メディアは広くこれを報じる。日本はこれを無視し、そればかりか道徳的な面をし中国を批判しようとしている。これはすべての中国人に対する侮辱だ。
日本はかつて経済の巨人だったが、現在の中国の経済規模はその3倍だ。この差は今後さらに広がる。予測によると、中国の今年のGDP成長率は8%にのぼるが、日本はマイナス3%になる。この経済の流れは、かくも残酷な歴史を背景としながら、なぜ中国がその成果をこれほど誇っているのか、なぜ日本が最終的に中国を恐れるのかをはっきり示している。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2021年12月16日