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japanese.china.org.cn |17. 08. 2022

日本人が見た中国の津々浦々⑥幸せなおばあちゃん・中村京子先生との対談記

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中国網日本語版  |  2022-08-17

文・写真=小林正弘 


清華大学法学博士 


Genuineways.Inc ブランド保護顧問


 景山公園、北海公園などに囲まれた紫禁城の裏庭・地安門の胡同に、かつて皇帝溥儀の外国人教師が住んでいた四合院がある。そこに92歳の幸せなおばあちゃん・中村京子先生を訪ねた。



 中村先生が始めて中国の土を踏んだのは戦時中の1945年5月。福岡の農村から看護師になるため一人で満州に渡り満鉄看護学校に入学。その後、日本は敗戦し、看護学校を接収した人民解放軍の兵士から「自分で日本へ帰るか、看護兵として従軍するか」と希望を聞かれ、当時15歳の中村先生は生きるために従軍を選択する。その後、八路軍の一員として解放戦争に参加し、新中国成立後は、医療資源が窮乏していた瀋陽などで献身的に働かれた。


 中村先生は八路軍時代に、農家から戸やレンガを借りて担架や手術台を作ったこと、亡き夫であり抗日戦争にも医師として参加したドイツ人・ミラー博士と出会い、幸せな家庭を築いたこと、現在のお住まいは中国政府が提供し経費も負担してくれていることなど、中国での生活について教えてくださった。


 「八路軍に参加していた時、一番怖かったことはなんですか」と尋ねると、中村先生は、深夜に農村部を馬で行軍している際に、先方隊が沼地にはまり、大混乱となり、隊列から逸そうになった体験を話してくれた。当時、日本人が農村で取り残されれば命の保証はなかったのだ。 


 子供の頃から、戦争に翻弄され、中国の地で戦争の悲劇と憎しみを目の当たりにし、それに向き合い、一人の日本人として、看護師として、そして母として前を向いて歩み抜いて来られた人生。それは私の想像も及ばない苦労の連続であったに違いない。しかし、中村先生はそんな苦労については一言も語らず、「私は本当に運がよかったのよ。中国がこんなに発展するとは思わなかったわ。」と笑顔で微笑んだ。


 「中国網日本語版(チャイナネット)」2022年8月17日