日本チップ産業の発展から学んだ経験と教訓

中国網日本語版  |  2023-06-22

日本チップ産業の発展から学んだ経験と教訓。

タグ:チップ 製造業 半導体 機密 技術

発信時間:2023-06-22 09:00:00 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

文=中国社会科学院日本研究所研究員 馮昭奎

 1960年代、日本は集積回路(チップ)を軍事目的で開発するために米国から技術を導入し、市場の激しい競争と政府の有力な後押しを通し、チップ技術の迅速な発展に力を入れた。これにより、日本チップ産業の世界シェアは1986年の44%に達し、米国の43%を上回り世界一のチップ生産国になった。日本チップ産業発展の全盛期だった1984年、私は東京や九州などにある日本のチップ製造基地と中小企業を視察し、迅速に発展する日本チップ産業に深い印象を覚えた。

 1つ目は、チップ工場には優れた技術チームが必要である。1984年、「シリコンアイランド」と呼ばれた九州のチップ工場を視察した際、私はチップ生産の最大のカギは仕上げ率を高めることだと認識した。200工程以上の作業の中で1工程にでも問題があれば、全ての生産の努力が無駄になる。チップ工場から専門家、作業員の全てに責任があり、最高を目指さなければいけない。

 今では、チップ工場の生産規模、技術レベル、工場建設コストが拡大し、1980年代と比べることはできないが、チップ工場に優れた技術チームが必要であることに変わりはない。チップ産業は超ハイテク(チップの線幅はわずか数ナノメートル)、超高額投資(12インチチップ工場の建設に数十億ドル必要)、超多工程(2000~5000工程)の産業になり、数十億の資金をこれほどの巨額投資を負担できる優れた技術チームに「的確」に投資する必要がある。

 2つ目は、優れた半導体企業からなる基礎研究「国家チーム」を選抜する。1976~1980年、日本の通商産業省所轄の電子技術総合研究所はコンピュータ・半導体分野に優れた富士通、NEC、日立、東芝、三菱電機の5社と「共同研究所」を設立し、通産省の権威ある技術専門家の垂井康夫氏が5社から20人の技術者を選抜し「超LSI技術研究組合」(以下、組合)を結成し、政府とメンバー企業が組合に共同出資し、免税と低金利借款を提供した。「組合」の主な課題は、普段は競い合うメンバー企業に共通して必要で、労働力と資金力の難易度が高い単独では困難な基礎研究を行うことだった。

 一時的な組織だが、「組合」は日本の超LSIの技術の壁を乗り越える「国家チーム」になった。「組合」は4年間にわたり共同研究し、1200件以上の特許、300件以上の商業機密技術などを開発し、最終的に加工精度1マイクロメートルの大台を突破し、日本製造業の当時の最高水準となる超LSIを実現した。

 3つ目は、それぞれの長所がある中小製造企業が「日本製の金字塔」の基礎を築いた。中小製造企業にそれぞれの長所があることは日本製造業の大きな特徴である。これらの企業は数十年かけて「極小」だが欠くことのできない専門技術を発展させ、具体的な技術商品分野で世界市場を獲得した。これらの企業、また企業が形成した産業クラスターは日本製造業の技術力の基礎と底力になり、日本チップ産業が米国を迅速に超えた主な要因でもある。

 日本の半導体などのハイテク産業の迅速な発展に伴い、日米間の貿易摩擦は激化した。米国は貿易戦を通して日本に市場を開放し、経済利益を譲るよう迫り、日本が米国の技術に追いつこうとしているのを戦略的に牽制している。また、市場を武器に、「ライバルのライバル」を育成しようとしている。1990年代後期、韓国と中国台湾地区のチップと電子商品が大規模な世界進出を開始したことは、日本にとって全面的な試練となった。2021年、日本の世界半導体市場におけるシェアはわずか6%となった。米国は54%、韓国は22%だった。同時に、米国は日本経済に全面的な圧力をかけ、日本は『プラザ協定』後に米国が求める「国際協調」に過度に従うなど一連の重大な誤った政策決定をし、日本経済は1990年代に「失われた10年」と「第2の敗戦」と言われる成長率1%時代に陥った。

「中国網日本語版(チャイナネット)」2023年6月22日

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