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呉建平氏が語る中国侵略日本軍731部隊細菌戦の歴史の真相

中国網日本語版  |  2025-09-18

呉建平氏が語る中国侵略日本軍731部隊細菌戦の歴史の真相。「環球時報」の記者はこのほど、中国侵略日本軍細菌戦衢州展示館の呉建平館長と、映画「731」の趙林山監督にインタビューを行った。彼らはそれぞれ口述歴史、医療救助、学術研究、映像制作の面から、細菌戦が中国軍民に与えた甚大な災難について説明した…

タグ:細菌戦

発信時間:2025-09-18 16:04:12 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

中国侵略日本軍731部隊の細菌戦犯罪を描いた映画「731」が9月18日、世界各地で公開された。94年前のこの日、「九一八事変」(満州事変)が勃発し、中国の抗日戦争の幕を開いた。「環球時報」の記者はこのほど、中国侵略日本軍細菌戦衢州展示館の呉建平館長と、映画「731」の趙林山監督にインタビューを行った。彼らはそれぞれ口述歴史、医療救助、学術研究、映像制作の面から、細菌戦が中国軍民に与えた甚大な災難について説明した。

呉氏は、老人と子供を騙してコレラ菌の饅頭を食べさせるといった、中国侵略日本軍の細菌戦について次のように語った。

日本軍は衢州地区に対して、1940年、42年、44年の3回にわたり大規模な細菌戦を実施した。1940年10月4日は、衢州地区の住民が日本軍から初めて細菌兵器による攻撃を受けた日だ。記録によれば、日本軍の飛行機は当時、杭州の筧橋飛行場を離陸し、午前9時ごろに衢州城上空に到着した。城内で最も人口が密集していた水亭門一帯で、日本軍が「雨下法」と称する方法で、ペスト菌に感染した大量の粟や麦粒、綿、敷き布団、さらには8キログラムのノミを撒き散らした。極めて悪意に満ちた行為であった。1940年末、当時の衢県警察局長は県長に死亡状況を報告する調査報告書を提出した。その中には、多くの感染例が詳細に記録され、血まみれの歴史が残されている。

1942年8月20日、156人の日本軍細菌戦遠征隊が衢州に到着した。同月25日には、731部隊初代部隊長の石井四郎が細菌戦を指揮した。日本軍は当時、都市部と郊外に細菌兵器を散布した。彼らは中国の軍人に化けて、コレラ菌入りの焼餅、饅頭、米果を担ぎ、衢州域内の常山県と江山県で他地域へ避難できなかった老人や子供を騙して食べさせた。抵抗力の弱い人はすぐに死亡し、死を免れた人も感染源となった。

ある銀行のホールで、日本軍は感染した市民を生体解剖し、細菌兵器の効果を観察した。さらに3千人以上の中国の軍人と市民を捕虜にし、各種細菌を混ぜた焼餅や饅頭を強制的に食べさせ、拒否した者は即座に斬首した。その後、食べた人たちをすべて放し、疫病を拡散させた。

江山県の戦災統計表によると、1942年9月に日本軍が撤退した後、約1230世帯の全住民のうち「潰瘍病」(炭疽)患者が2130人記録され、全身が潰れた患者もいた。1940年末から1948年末まで、衢州地区で30万人以上の感染者が発生し、前衢州市衛生防疫所長の邱明軒氏の20年の調査では、記録のある死者数は5万1407人に上った。

かつての日本軍細菌戦衢州被害者協会会長の楊大方氏が述べたように、「この歴史を伝承することは私たちの責務であり、この歴史が埋もれ、薄れていくことは絶対に許されない。誰かがこれらの戦争犯罪を飾り立てたり、隠そうとしたら、私たちは必ずそれを暴き出す」と呉氏が映画「731」上映の意義を強調した

「中国網日本語版(チャイナネット)」2025年9月18日


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