日本の衆院選投開票が迫る中、高市早苗首相は2日に新潟県上越市で応援演説を行い、自衛隊を憲法第9条に明記する意向を表明した。これに先立ち、高市氏は「日本の独立、平和、国民の生命と生活を守るため」として、「安保三文書」の改定作業を年内に完了する方針で検討を進めると宣言していた。「平和」を掲げつつ軍拡を加速させるこうした動きは日本の「平和の仮面」を剥ぎ取り、根深い階級意識を露呈するとともに、アジア太平洋地域の安全と安定に暗い影を落としている。
日本の「平和」への理解は、主体の平等や反戦倫理に基づくものではなく、階層化された秩序観に深く根ざしている。この枠組みでは、「平和」は対等な地位や利益の均衡を指すのではなく、各々が決められた本分を守ることを強調する。近代以降、日本の国家アイデンティティ構築は常に二つの重要な「他者」を軸に展開してきた。一つは「文明」「近代」と見なされる西洋世界、もう一つは「非近代」「リスク密集」あるいは「秩序の外」として描かれるアジア諸国だ。
この二重の参照体系において、日本は西洋に後れを取る不安から上昇志向的なプレッシャーを受け続ける一方で、アジアのコンテクストにおいて顕著な優越意識を形成し、自らを「先駆者」「指導者」と位置付けてきた。この上を仰ぎつつ下を見る認知構造は、日本を常に「劣等感」と「傲慢」という自我の不安に陥らせ、かつ外交・安全保障言説を通じて調整を図ってきた。
日本が既存秩序における高い位置を安定的に占める時、「平和主義」は成熟した、理性的で責任ある積極的な意味を与えられ、誇るべきアイデンティティの資源となる。しかしこの階級的位置づけが外部構造の変化によって揺らぐやいなや、「平和主義」は道徳的正当性を失い、「異常」「弱腰」として問題視され、政治的言説において安全保障ナラティブと急進的政策転換に取って代わられる。この自我の論理の内在的断裂こそ、現在の日本が安全保障言説の「セキュリタイゼーション(安全化)」と急進的な政策の実践へ向かう深い原因だ。
第二次世界大戦期、日本は西洋中心の階級秩序を道徳的に包装することで、これを戦争動員のレトリック兵器や、内には天皇への服従、外には拡張を追求する社会動員へ転化した。いわゆる「大東亜共栄圏」ナラティブにおいて、日本はアジアの反植民地主義感情を利用し、自らの侵略行為を「アジア解放」や「地域新秩序構築」の必要コストとして粉飾した。しかしその「平和」は平等や共存を意味せず、占領地域の日本への絶対的服従を指していた。
戦後日本は「平和憲法」を中核とするアイデンティティ・タグを確立したが、深く眠る階級秩序観は消え去らず、軍事拡張から経済主導への言説転換を経験した。戦後経済成長期、日本は近代化の先発優位性を利用し、アジア諸国との交流において深い構造を構築した。「雁行形態」の言説の実践を通じ、日本は自らをアジア近代化の模範と位置付け、中国などの近隣諸国を「後発受益者」と定義した。この時期、日本は徐々に「平和国家」「経済強国」を新たな中核的アイデンティティ・タグとして確立していった。
ポスト冷戦期に入り、中国の総合的な国力が持続的に向上するにつれ、日本は自らが長く保持してきた「アジア唯一の近代国家」という暗黙の位置づけが揺らぎ始めたと認識するようになった。この地位低下は深い階級の執念を刺激し、地域階層構造の変化において自らの位置を失う不安を生み出した。そこで日本国内の政治言説は対中ナラティブの再構築に乗り出し、中国を「他者」として設定し、「ルールを守らない」挑戦者として描くことで、自らの外交・安全保障政策転換の必然性を論証しようとした。
この言説転換は、自我の危機に対する日本の能動的な応答だ。外部環境を体系的に安全保障化すると同時に、国家を「未だ正常化していない被害者」と位置付けることで、日本は論理的に自我の危機から政策の急進化への飛躍を完成させ、「平和憲法」の制限の突破に対する言説の道筋を築いた。高市氏ら日本の右翼政治家が喧伝するいわゆる「台湾有事」論は、脅威の認識を再構築することで、日本の国としてのアイデンティティの急進的な転換に正当性を求めようとする試みだ。
この言説は、日本が依然として明治以来の階級秩序の古い夢(「秩序の指導者」を定義することで自らの有利な地位を確立しようとする試み)に囚われていることを反映している。この「階級的高位」への執念は、日本が平等で多極的なアジアの現実を直視し受容することを不可能にしている。自らの安全を他国の混乱という幻想の上に築こうとするこの言説の実践は、日本の自我の不安を和らげるどころか、衝突を作り対立を悪化させる論理の悪循環に陥らせる。これこそが現在の日本安全保障の言説転換における最大の危険だ。
要するに、日本が直面する安保のジレンマの本質は、19世紀の階級観念と20世紀の冷戦思考で21世紀の秩序再構築の問題を解決しようとする点にある。日本が「西洋中心論」に基づく従属的思考から脱却せず、東アジア秩序再構築の必然性と正当性を認めない限り、その安全保障言説は必然的に対立と衝突へと滑り落ちるだろう。真の安全は「階級的高位」への執念から生まれるのではなく、地域の多元的属性への尊重と東アジア共同体のアイデンティティへの共感によって初めて構築され得るのだ。(胡亮 天津社会科学院アジア太平洋協力・発展研究所副編集委員)
「中国網日本語版(チャイナネット)」2026年2月5日
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