清代の「恭王府」

清代の「恭王府」。 恭王府は北京で規模最大、最も完全な形で残る清代の王府。花園は「翠錦園」と言い、俗に恭王府花園と呼ばれている。園内を回ると、まるで山水の間を歩いているかのようだ。古木が天を突き、怪石が林立し、山と水がめぐり、東屋と高殿が並び、回廊と道が曲折している…

タグ: 麻生

発信時間: 2008-11-19 11:30:25 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

大劇楼




化粧している京劇の俳優

 

著名な大劇楼は純木造建築。清代、南方の官吏は恭亲王の関心を買おうと、とくべつに南方の名匠に造らせたと言われる。南方と北方では気候に差があるので、純木造建築が北方で百数年から今日まで完全な形で保存されているのは非常に珍しい。劇楼のホールは非常に高大だが、音響効果に非常に優れ、最も離れたところでも、舞台上の歌詞ははっきりと聞こえる。不思議に感じさせるのは、ホールの上方いっぱいに逆さに吊るされた藤の蔓が描かれていることだ。もともと当時、このホールのような劇楼は北方では非常に少なく、慈禧太后の有名な大劇楼でさえ庭で座って観劇した。恭亲王は罪を得ることを懸念し、天井いっぱいに藤の蔓を描き、藤の蔓の棚でホールではない、との意を示そうとした。実に並々ならぬ苦心が窺える。

 



流杯亭(沁秋亭)

 



曲水流觞

 

沁秋亭は苹錦園の東南側にある。亭内を溝がめぐり、山から水を人工の溝に注そぐようにしたのは、晋の修楔の「曲水流觞」(曲水、酒杯を流す)という典故を手本にしたものである。

流杯亭と呼ばれるには由来がある。親しい友を招待してここで酒を飲み、心ゆくまで酒を楽しむ時には、詩を詠じて競争した。酒杯が流れてきて自分の前で止まれば、その人は詩をつくらなければならない。できない人は罰の酒を飲まされる。当時の和绅も風流な人物だったと想像される。

「亭」の字のように湾曲しているので、酒杯は水に放たれると、水の行く道に沿って流れていくことから、「流杯亭」と呼ばれた。

 

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