もしレフ・トルストイが中国でビジネス展開する外資企業史を書くならば、その文頭はこうだろう。「成功した会社はみな似ているが、失敗した会社はぞれぞれ違う」。中国市場が開放されて以来、一部の実力のある米企業は自信満々に乗り込んできたが、数年後には蹌踉としはじめ、傷を負い、途方に暮れ、仕舞いには動けなくなって撤退を宣言する。失敗の原因はさまざまだが、彼らの共通点は「中国市場が如何に多様で無情か」という点を理解していないことだ。
「中国は自分からアクションを起こす場ではなかった」(米ホームセンター大手ザ・ホーム・デポ)
ザ・ホーム・デポは電動工具や建設資材などを揃え、米国の日曜大工を趣味とする人々のニーズに応え急成長を遂げた。それはまさに米国人の「自分からアクションを起こす」という精神の象徴でもあった。中国の状況は表面的にみれば米国に似ているところもある。中産階級が多く、新築住宅は増え、中国人には器用で、勤勉かつ倹約という伝統がある。
そんな中国市場に目をつけ、2006年、ザ・ホーム・デポは中国に進出する。12店舗を展開し、工具や資材を所狭しと並べ、大金が転がり込んでくるのを待った。しかし、それが実現することはなかった。6年の苦闘の末、残り少なくなった店舗もすべて閉鎖に追いやられた。失敗の原因の1つ目はタイミングだった。ザ・ホーム・デポが中国に進出してきたときには、すでにライバル会社がしっかりと根を下ろしており、市場の増加幅は緩やかになっていた。2つ目は中国の住宅市場の特性にある。多くの住宅購入者は投資と投機を目的としており、住宅条件の改善というものではなかった。3つ目は中国の消費者は市中心部から離れた大規模な倉庫の商品を嫌う傾向にあることだ。致命的な点は、ザ・ホーム・デポは「自らアクションを起こす」という概念をこの労働市場の安価な中国市場に取り入れようとしたことだ。つまり中国市場は「自らアクションを起こす」市場ではなく、ザ・ホーム・デポの代表が撤退時に言い残した「中国は『誰かがやってくれる』市場」だったのである。