万春暉さんは2月20日、武漢火神山医院で完治し、退院した。彼は1月27日よりSNSで、新型コロナウイルス肺炎の感染の疑いが出てから退院するまでの日々を記録した。フォロワーは200人から22万人に増加した。彼の治療に関するエピソードは、アクセス件数が最大2600万件以上にのぼった。
万さんは「日記が素朴で、健康状態が好転し人々に希望を与える内容であったため、見てもらえたのだろう」と述べた。
「現在は2020年2月2日午後8時、私が発熱してから9日目、入院してから4日目だ。夕飯の弁当を残さず完食した。食べながら泣いた」
万さんはその日、ネットユーザーが撮影した、武漢市の支援に駆けつけた医療従事者の写真を目にした。武漢火神山医院が同日、正式に交付された。万さんはこれらのシーンを目にし、涙が止まらなくなった。
万さんには1月24日、発熱の症状が出た。多くの患者と同じく、当初はコミュニティと病院の間を行き来していた。「自分が40年以上も生活した都市がパニックになり、心から血が滴った」
万さんは1月30日夜、武漢市人民医院に入院し、核酸検査・治療を待っていた。彼のベッドは通路側で、電気が24時間ついているので落ち着いて休息できなかった。病室内で「ピッ、ピッ、ピッ」と音をたてるモニターの音で、彼は焦りを覚えた。
万さんは入院後、日記により新型コロナウイルス肺炎と戦う毎日を詳細に記録した。日記によると、彼は頑張って食事をし、医師と看護師の治療に積極的に協力した。「これほど生を強く求めたことはなかった。あの頃はただ生きたかった」
2月1日と2日は発熱の症状が出てから9、10日目で、最も苦しい2日間だった。武漢市人民医院呼吸科主任は彼に、発症から10日目が症状のピークで、この時期を過ぎればほぼ勝ったようなものと伝えた。
高熱と強い痛みが2月1日から始まり、体温が39.5度に上がった。彼はその夜全身が震え、歯がガチガチと鳴り、意識が朦朧とし、体力が落ちたことをよく覚えている。トイレに行くと全身がふらつき、何も食べられなかった。
彼はその時、もうだめかもしれない、フォロワーには申し訳ないことになりそうだと思った。
彼は2月2日朝の日記で、「準備しておいたビスケットを取り出した。食べるとき喉に激痛が走ったが、一生懸命食べた」と記している。
2月3日朝、万さんは医師から、治療のため火神山医院に移ると伝えられた。2月4日に火神山医院に入ると、すべての患者用に車椅子が準備されていたが、彼は「私は自分で歩き、自分でここから出る」と述べた。
彼の健康状況は当時思わしくなく、時おり激しいせきが出た。しかし万さんは、自分には希望があると常に感じていた。「ピッ、ピッ」という装置の音を聞きながらでも、落ち着いて眠れた。「すべてが好転している」
万さんの2月2日の日記には、隠し撮りした写真がある。武漢市人民医院の看護師が足に黄色い袋を縛り付けている写真で、これはゴミ袋だった。
万さんが武漢市人民医院に入院していたころ、食事中に看護師が来て「食べる物があるなんて素晴らしい」と言ったことがある。彼はそのとき初めて、防護服を節約するため、医療従事者が勤務中に食事できないことを知った。
元気があれば、彼は看護師のためできる限り協力した。火神山医院で健康状況が好転すると、彼は医療従事者と共通語が話せない患者の間に立ち通訳になった。
万さんは2月20日、火神山医院から退院した。彼は日記の中で「私の英雄たちよ、お体を大切に。何事もありませんように」と綴っている。
彼の日記は現在も更新されているが、新たなページをめくった。彼も武漢が新たなページをめくる日を待っている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2020年2月25日