私は現在、自宅でオンライン授業を受ける10歳の娘に付き添っている。一日三食、違った美味しい料理を作っている。感染症により珍しく時間ができたため、夫や娘と日差しを浴び、生活の雰囲気を味わっている。
しかし今年の春節の出来事を思い出すと、今でも恐ろしくなるほどだ。
春節前、私と娘は5泊6日の日本旅行のクルーズ船を予約した。日程通りであれば、この船が天津国際クルーズ船母港に戻るのは旧暦の1月1日の朝だった。
ところが意外なことに、船内の15人が発熱した。しかも私と娘を含め、船内には湖北省の乗客が148人いた。当時は感染状況が絶えず深刻化し、この船の着岸が非常に困難になった。
私が乗っていたのは、多くの人から注目を浴びたクルーズ船「コスタ・セレーナ」だった。
旧暦の1月1日、私は早く目覚めた。船が間もなく港に到着し、娘と旅を終え上機嫌で帰宅できると考えていた。
当時は感染症について懸念もあった。客船内は電波が届かないことから、日本の佐世保港に停泊する時になり、初めて武漢市が封鎖されたことを知った。しかし感染症がその後、これほど深刻になるとは思わなかった。
イミグレを通過し日本に入った時、私は日本語が読めないが多くの看板に「武漢」と漢字で書かれているのを目にした。私と娘が武漢から来たと聞くと、検温を担当する日本側の職員から注目された。
天津市に帰港する前日、私は客船内で春節聯歓晩会を見ていたが、感染対策の臨時ニュースが放送された。これを目にすると私はいっそう心配になり、早く下船し帰宅したいと考えた。
旧暦1月1日の早朝、私は娘の身だしなみを整え、隣の部屋の同行者を呼び朝食を取りに行った。
朝7時過ぎ、食事中に「天津税関が乗船し検査を行っており、しばらく着岸できません。各自の部屋で待機してください」というアナウンスがあった。
当時多くの人がサービスカウンターに行き、船内で何があったのか、いつ下船できるかと質問した。高速鉄道、航空機、ホテルの予約を入れている人が多かった。私と娘も先に北京に行き、航空機で武漢に戻る予定だった。
レストランの乗客もあれこれ取りざたした。「船内で発熱患者が出たようだ」「防護服を着た人が乗船し検査しているそうだ」「感染者が出たら、全員下船できない」など、恐怖に陥っていた。
私と娘も仕方なく部屋に戻り、税関の検査を待った。恐ろしかったが何もできず、待つしかなかった。
娘からは「どうして下船できないの」と聞かれてばかりだった。私は何回も慰めるしかなかった。