自宅隔離を堅守
無感染住宅となったのは、住宅地スタッフが日々努力し、住民が自己隔離と措置を堅守したおかげである。
住宅地の無感染は、住民が「行動しない」という行動を実行したことによるものである。
住民は自主的に家で過ごし、物資を受け取ったりごみを捨てるなどの必要時以外は住宅を出ず、集まらず、密集せず、家で過ごし、家族とコミュニティとともに感染症と戦った。船廠コミュニティに住む元海軍兵士の徐学仁さんは、武漢市が閉鎖された日に80歳を迎えたが、家族の安全を考慮し、深センにいる娘を帰省させなかった。
「行動しない」以外に、消毒も重要である。恒大御園に住む、12歳の子供を持つ蘭麗さんは家族の安全を考慮し、家の中の消毒を特に心がけた。ごみを捨てに出て家に戻ると毎回全身を消毒し、アルコールスプレーを玄関に置き、数日おきに84消毒液で床を消毒した。消毒と防護措置を徹底的に行い、ウイルスを住宅地から追い出し、遮断した。
ウイルスを隔離しても愛は隔離されず、家族愛、友情、隣人との絆は隔離されない。
これは、血は水よりも濃いという家族愛である。徐学仁さんは一人暮らしで、古い携帯電話を使っているため、WeChatができない。毎朝9時半になると娘に電話をかけて「無事」を伝える。電話がつながらない時は、「元気だから安心して」というメッセージを残す。
これは、金では買えない友情である。劉桂英さんは船廠コミュニティの合唱団に所属し、感染症流行期間はWeChatのグループで自分の詩をシェアし、詩句で仲間を勇気づけた。劉桂英さんは、「中華に天の御加護を、武漢に天の御加護を」「感染症は無情でも人は情がある、みんなで難関を乗り越えよう」などの詩を書いた。
これは、遠い親戚より近い隣人の絆である。徐学仁さんの向かいの住人は10歳若いが足が悪く、感染症発生後は徐学仁さんが孫を抱っこしたり、重い物を運んだりし、できる限りの手助けをした。蘭麗さんはボランティア理髪師となり、30人以上の近隣住民の髪を切った。
無感染住宅という成果は容易ではない。「0」は努力と奮闘の目標だったが、注意深く貫いてきた勝利の結果でもある。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2020年3月30日