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中国のオリンピック先駆者・張伯苓氏(3) |
発信時間: 2008-02-15 | チャイナネット |
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○いち早くオリンピック教育をカリキュラムに 張伯苓は早くから学校でオリンピック教育を行い、1920年代にはオリンピック競技種目を教育指導要綱の体育科目に取り入れた。 スポーツ教育・スポーツ施設建設の分野で、張伯苓が出し惜しみすることは全くなかった。1920年代半ば、南開中学・高校の在校生数は1千名に満たなかったが、学校全体でバスケットボールコート15面、サッカーコート5面、バレーボールコート6面、テニスコート17面、トレーニングジム3室、400メートルトラック競技場2面を備えていた。同校の充実したスポーツ施設は全国の学校でもトップクラスだった。 同校の体育の授業も極めて規範化されていた。高校・大学に関わらず、体育の授業は毎週3時間確保されていた。男女の別なく、3年間の履修単位を満たせず、テストに合格しない者は卒業ができなかった。 張伯苓のスポーツ教育思想は、学生のスポーツ知識・技巧の習得にとどまらず、確固たるライフスタイルと生活に対する姿勢を育成することに重点が置かれ、それによって、中国人全体の身体・教養レベルが高められるというものだった。 「人民網日本語版」2008年2月15日 |
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