建てられてから10年ほどの建物が壊されているのを見ると、本当に心が痛む。しかしよく考えると、中国の建物の寿命が短いのは今に始まったことではない。ヨーロッパに行くともっとそのことを強く感じる。たとえばイタリアには2000年前のコロッセウムがそこに存在するが、5000年の歴史がある中国は、1000年以上のものは地下で探すしかない。500年以上の建物は非常に珍しく、多くの建物は悠久の歴史ある場所に再建されたものだ。
ここ数年、暮らしのリズムが速くなるに従って、建てられて間もない建物の寿命はもっと短くなっている。ある人はこの「短命」な建物は、中国の建築構造と関係があるという。ヨーロッパは石造りで中国は木造であることから、中国のほうが「短命」なのは当たり前だ。しかし問題なのは、中国の多くの建築は、木の寿命から考えても十分に保存されているわけではないということである。
有名な山西省応県の木塔は完全な木造建築で、遼の時代から1000年が経ち、保存状態も非常にいい。しかしほとんどの中国の建築は100年も寿命がないのが現実だ。
短命な建物は「目先が利かない」文化のため
なぜ中国の建物は「短命」なのか。最大の理由は、私たちが継続性に欠けた目先が利かない文化を有していることだと思う。中国は何千年の間に王朝が変わり、秦の始皇帝が建てたとされる大宮殿の阿房宮が全焼するということがよく発生した。そのため未央宮であろうと大明宮であろうと、こうした素晴らしい建物は全て伝説となり、今は存在しない。
このような目先が利かない文化は今でも繰り返されており、大いに壊して建設することが発展の考えになっている。多くの政府役人は、就任後に自らの壮大な未来を計画することに夢中になり、自分の政治の理想を示す時に、往々にして前任者の建設成果には注意を払わない。それに前任者の成果が邪魔になる時には、混乱したものを何度も補修するよりは、一からやり直したほうがさっぱりしていると考える。こうした継承性に欠けた目先の利かなさで、10年にも満たないビルが壊されることはよくあることだ。
実際にこうした役人は、たとえ前任者を受け継ぐべきかどうかにしても、いかに都市計画の「1期1計画」の短期性と随意性を避け、都市計画が本当に科学的で長期的であることこそを真面目に考えるべきだと話す。しかしよく考えてみれば、みんなが都市計画を紙くずと考え、誰でも就任後に自由に計画を立て前任者の建設成果を取り除けば、後任者も同じ様に自分の計画を取り除いてしまうのはとても明らかだ。もっと困ったことは、このように壊し続けて最も益を得るのは、個々の役人の在職期間中の成績で、巨大な社会的財産が失われる。これは恐らく平和な時代の最大の浪費だろう。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2010年11月1日