林国本
中国の若者は留学先で、ガリ勉ぶりが話題となり、ほとんどの留学生は成績優秀で、感心の的になっているが、しかし、実情としてはこのような競争社会の典型みたいな存在を疑問視している父兄たちも多数いる。
こういう競争社会の権化のような人間が多数現れるそもそもの原因は、就職難の存在であろう。
今、巷間ではやっている言葉に「人生のスタートラインですでに敗北者になることだけは避けるべきだ」というものがある。そういうことで「教育ママ」たちは幼稚園さがしの段階から、「バイリンガル幼稚園」をさがし、子供がそんな環境に適応できるかどうかはおかまいなしに、「これでホッとしたわ」と言っているウルトラ「教育ママ」たちを何人か目にしたことがある。
アメリカや日本に駐在して、子供をアメリカや日本の小学校に一時期、就学させていた知人は帰国後、子供が国内の学校生活に適応できないので弱っているのも目にしている。中国の大都市では小学生、中学生は夜の10時、11時まで勉強しているのはザラである。かくいう私自身もかつてはウルトラという修飾語がつくかどうかは別として、「教育パパ」として子供に「政治家への道を歩むなら別だが、普通の人生を送るなら、その世界でトップランナーになれ」と子供をしつけていたことを覚えている。激動する中国で悠々と生きていくには希少的存在になる以外にないと考えていたからだ。しかし、そういうムリなことをして、子供が自閉症になってしまった人のことを見て、自分の非を反省している昨今である。