日本の武士の髪形(Record Japanより引用)
日本の時代劇の中でよく見かける、男性のちょんまげ頭をよく見てみると、この髪型には本当におかしな点がいくつもあることに気づく。また、この「ちょんまげ」という名前の発音も非常に滑稽だ。いったいこの呼び名はどのように付けられたのだろうか。これについて、日本のPOLA文化研究所の村田孝子さんが紹介してくれた。「ちょんまげという言葉は、もともと髪の薄くなった老人が結った髷の形が『ゝ(ちょん)』の字に似ていたためにその名がつきました。明治時代以降、当時流行した短髪と比較して、人々は江戸時代に流行したこのような髪形を広くちょんまげとひやかして呼ぶようになりました。」
それでは、ちょんまげはいつ、誰が発明したのですか?
村田さん:「ちょんまげの起源については諸説ありますが、武士などに広く結われていた『本多髷』を起源とする説が最も有力です。本多髷は江戸時代に伊勢の国(今の三重県一帯)桑名藩主の本田忠勝の家臣であった武士たちが広めた髪形で、安永年間に最も流行しました。また、流行や階級の違いによるニーズから8通りの形に派生していきました。」
ちょんまげの起源はわかりましたが、当時の武士たちはちょんまげを変だと思わなかったのでしょうか?
村田さん:「日本の古墳時代の遺跡から出土した埴輪に見られる美豆良(みとら)は、紐で髪を耳のあたりで環状に結う髪形で、髷文化ははるか昔からずっと受け継がれてきたものだと見ることができます。また、ちょんまげを一つの文化の形と考えると、変だとも可笑しいとも思われはしないでしょう。事実、当時の社会では武士に限らず、一般市民もちょんまげを結っており、身分や階級、年齢によって違う形にしていました。このことから、現在の流行の髪形と同様、新しい形のちょんまげは、当時の人たちにとってとても格好良く感じられていたのかもしれません。」
ちょんまげの由来とどのように発展してきたかはわかったが、このわざわざ髪を束ねて紐で結う文化がどのようにして生まれ、受け継がれてきたのか、さらにもう一歩奥にある原因は、どの文献にも残されておらず、いまだ謎に包まれている。しかし、現在全ての検証はもはや問題ではなく、歴史の中に確かに存在するちょんまげは、すでに日本文化の一つのシンボルとなっている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2011年10月23日