純愛映画に見られる日本の「物の哀れ」の美意識

純愛映画に見られる日本の「物の哀れ」の美意識。 今も昔も純潔な初恋はいつも文人墨客の賛美を受け、とりわけ「純愛」というテーマがゆるぎない地位を築いている日本映画にあっては、初恋はかぐわしい花のように人々を淡い陶酔へ誘う…

タグ: 純愛,日本文化,映画,物の哀れ

発信時間: 2011-12-15 14:45:06 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

『世界の中心で愛を叫ぶ』スチール写真

 

『四月物語』スチール写真

 

『恋空』ポスター

今も昔も純潔な初恋はいつも文人墨客の賛美を受け、とりわけ「純愛」というテーマがゆるぎない地位を築いている日本映画にあっては、初恋はかぐわしい花のように人々を淡い陶酔へ誘う。

日本文化の中には一種の「(物事を)良い方向に結びつける」精神があり、純愛映画の中の静かな、表には現れない感情は、見る人が潜在的に持っている絶望感を慰め、一種の希望に満ちた生命を体験させてくれる。

純愛映画が作る感情の「ユートピア」

純愛映画の大きな特徴の一つは感情の「ユートピア」を作ることだ。夢のような映像世界の中では、社会的な束縛を離れ、どんな外界の苦しみも存在しない。男女の主人公は、単純で清らかな世界の中で美しいラブストーリーを展開する。その愛情は純粋で、社会的な立場も年齢も、生死さえも問題にしない。

『ラブレター』は日本の純愛映画の代表作で、そこに描かれているのは初々しい初恋だ。『ラブレター』がこんなにも多くの人に愛された理由は、この作品が全ての人の心の最も柔らかい部分を打ったからだ。小樽の雪景色の中で、物語はまるで現実から抜け出したようであり、最後のシーンで、女性の藤井樹が小学校の図書館の古い本の図書カードの裏に、男性の藤井樹が描いた彼女の似顔絵を見つけた時、その幸福な微笑みは、見る人の心を優しく波立たせる。

もうひとつの純愛映画の傑作『四月物語』は片思いを描いており、1時間6分の映画は起伏のない淡々としたストーリーだが、心温まる作品だ。物語は主人公の卯月が片思いの人に会い、彼と言葉を交わして傘を借りるところで突然終わる。この結末は、淡々として深入りしないからこそ、見る人を穏やかで静かな心持にさせ、感情を満足させて、この作品を完璧なものにしている。

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