1月30日、『日本新華僑報』によると、日本の国産映画は益々世界に太刀打ちできなくなり、勢いを失っているという。日本の映画市場が欧米諸国の「グラマラス」な映画や俳優に乗っ取られたと揶揄するものもいる。その原因は、映画産業の発展に立ちはだかる様々な制約、見掛け倒しの俳優たちや卑猥な映画が蔓延していることにあるのかもしれない。
道路では国産車が行き交い、家には国産の電化製品、映画館では邦画が上映され・・・日本人が国産品、つまり「日本製」のものが好きだということは有名である。しかし、近年、このような状況にも少しずつ変化が起きているようだ。自動車や電化製品を除けば、国外ブランドがどんどん増えてきており、日本人がかたくなに守ってきた日本文化の象徴でもある「邦画」の威光も影を潜め、洋画に引けを取っている。
日本映画製作者連盟(映連)の発表したデータによると、2011年の興行収入は『ハリーポッターと死の秘宝』がトップに君臨し、96億7000万円に達した。邦画で最もヒットしたのは『コクリコ坂から』だが、興行収入はたった44億6000万円で『ハリー・ポッター』の半分にも及ばない。邦画はますます洋画に歯が立たなくなっており、人気が衰えている。また、日本の映画市場は「ダイナミック」な洋画や「セクシー」なハリウッドの俳優に乗っ取られたと揶揄するものもいる。
歴史を振り返ると、エジソンが発明した映画を見る装置である「キネトスコープ」が日本に伝わったのは1896年で、日本が初めて製作した国産映画は1899年の『ピストル強盗 清水定吉』である。これは当時、実際に起きていた事件を映画にしたものであり、多くの観客をひきつけ、日本の映画史上最もヒットした映画の一つでもあり、出演した横山運平は日本初の「映画俳優」だ。その後、日本映画の発展は常に世界の最先端を走り、最盛期には年に547作の映画が製作され、年に11億2700万人の観客を動員したものだ。