2月28日、原発で作業をする職員
昨年、福島第一原発は高温下で核燃料の漏洩事故が発生し、周辺住民は安全な区域への緊急避難を余儀なくされ、50名の「決死隊」だけが原発に残った。今、この「無人の地」に残って戦っている作業員は3600名にまで増えている。彼らの多くは東京電力とその請負業者の職員である。
「腰抜けみたいに逃げるのは嫌だ」
地震発生後、「フクシマ50」と言われる50名の作業員は世界から注目を集めていたが、彼らの本名は未だに明かされていない。中川小市(仮名)さんはその作業員の1人である。
中川さんは東京電力の請負業者の職員であり、昨年の事故発生時、原発で点検作業を行なっていた。同僚と共に原発を離れることもできたが、中川さんは高給のために、原発で5ヶ月以上作業を続けた。「今でもあの時の決断が正しかったかどうか考えます。しかし、離れる事はできなかった。もし断れば、仕事を失うかもしれないと思ったし、腰抜けみたいに逃げるのは嫌だった」と中川さんは話す。
プレッシャーに耐えられずに車で家に戻ったこともあったという。しかし、家に戻って、中川さんは小さな町がまるで「ゴーストタウン」のようになってしまったことに驚いた。人っ子一人いなかったのだ。そんな時、会社の社長から、10倍の給料を出すから戻って欲しいと言われた。その「相当額の報酬」のために、中川さんは危険を承知で原発に戻ったという。福島第一原発の3号機が爆発したのはその翌日の事だった。爆発時、中川さんは電気回路の修理を行なっており、通常の作業服を着ていたという。その後、専用の防護服と放射線測定器を用意したが、8月に原発を離れた時、不幸にも彼の体内の放射線量は既に基準値を大幅に超えていた。
自分の身体の状態をただ静かに受け入れるしかなかった。今は体内の全体的な検査結果を待っている。中川さんは良く、「自分は大丈夫なのか」と自問自答するというが、明確な答えを与えてくれる人はいない。