婁さんによると、この地図には東京市京橋区入舟町四丁目五番地の橋本治四郎発行とあり、印刷は三間慶雲堂、地図の左側には明治38年(1905年)に印刷と記され、日本と清朝の2つの年代の歴史が印刷されているという。
この地図の最大の特徴は、当時の清朝の各省や市の状況が詳しく表示されていることで、その中には、金銀鉱山、石炭、鋼鉄、ダイズ油、茶葉、塩、漢方薬、絹織物、麦、米など約30種類の資源がはっきりと書き込まれている。特に山東省と江蘇省の注釈は多く、当時の日本帝国主義が中国領土の様々な軍事や民用資源などを詳しく知っていたことが見て取れる。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2010年12月7日