村井良一さん(1928-2004年)、日本の山口県の農家の生まれ。1943年、日本政府によって、村井さんは「満州開拓青少年義勇軍」の一員として中国東北にきた。1945年8月の日本の敗戦後、村井さんはハルビン難民救済所の仕事や日雇いの仕事で、一年間の不安定な生活を送った。
1946年9月、村井さんは中国の東北民主連軍に参加し、「大日本帝国」の「エリート」から中国の八路軍に一兵となった。1949年1月、村井さんの所属する部隊は中国人民解放軍第四野戦軍38軍と改称された。村井さんは38軍とともに北に南に転戦し、生命の危険を冒し、四平の戦闘、天津を解放する戦闘、宜昌を攻撃する戦闘など激烈で、残酷な戦争に参加した。毎回の戦闘での立派であったので、村井さんは前後して7回手柄をたて、「戦闘英雄」、「毛沢東勲章」、「中国独立勲章」などを授与された。しかし、彼は自分の功績に対してひとことも語らなかった。現在、38軍の功績簿にはその事績が記載されており、中国人民は村井さんの中国の革命と建設に対する貢献を忘れてはない。
1958年に帰国してから、村井さんは中日両国の鉄鋼貿易に携わり、引き続き中国の建設に貢献してきた。「上海の東方明珠タワー建設用の鋼材はすべて村井さんの協力を通じて、日本から輸入されたものである。われわれ中国人は村井さんの事績を絶対忘れない」、と上海五金公司の関係者は語っている。
「チャイナネット」2007年9月25日